錦織登美夫
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錦織 登美夫(にしきおり とみお、1919年〈大正8年〉11月3日 - 2008年〈平成20年〉1月22日)は、日本の出版人、実業家。東洋館出版社創業者・初代社長。
略歴
[編集]新潟県中蒲原郡新津町大字新津字三之町(現 新潟市秋葉区新津本町3丁目)の東洋館書店・東洋館印刷所の錦織豊松の長男として出生[1][2][3][注 1]。
1937年(昭和12年)3月に新潟中学校を卒業[注 2]、1940年(昭和15年)3月に慶應義塾大学予科経済学部を修了、1942年(昭和17年)9月に慶應義塾大学経済学部を半年繰り上げ卒業[2][7][8][9]。
第二次世界大戦で兵役に服し[注 3]、1948年(昭和23年)にシベリア抑留から帰還[3][9][注 4]、同年6月に東洋館出版社を設立して社長に就任[3][12][注 5]、のちに会長に就任[8]。
千代田製帽監査役[13][注 6]、牧書店社長[2][注 7]、教育書協会幹事長(代表)[2][注 7]、東洋館印刷所専務取締役[18]・社長[19][注 8][注 9]なども務めた。
2008年(平成20年)1月22日に肺炎のため死去[8]、葬儀・告別式は東京都台東区上野公園の寛永寺輪王殿で執り行われた[22]。
教員用の指導書などの教科教育分野の教育書の出版に力を注いだ[7][11][12][23]。
家族・親戚
[編集]- 錦織良平 - 祖父、東洋館印刷所創業者・初代社長、元新潟県中蒲原郡新津町町議会議員、元越後天然ガス監査役。
- 錦織豊松 - 父、東洋館印刷所第2代社長、新津商工会議所初代会頭、新津ロータリークラブ初代会長、元新津市公安委員長、新潟県印刷工業組合第2代理事長、新潟県新聞販売組合初代組合長、元新潟日報会相談役、元越後天然ガス監査役[24]。
- 錦織与志二 - 長男、東洋館出版社第2代社長。
- 錦織圭之介 - 男孫、東洋館出版社第3代社長。
- 井浦新 - 錦織圭之介の義長弟、山本有二(弁護士、政治家、衆議院議員、第59代農林水産大臣、元内閣府特命担当大臣(金融担当))の次女の夫、俳優。
- 鈴木一真 - 錦織圭之介の義次弟、山本有二の三女の夫、俳優。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 東洋館書店の隣の東洋館印刷所だった建物は現在、東洋館ホールという名称で無料休憩所やイベントスペースとして使用されている[4][5]。
- ^ 同期に和光証券(現 みずほ証券)第4代社長の斎藤伸雄がいる[6]。
- ^ 学徒動員ではない。
- ^ 1946年(昭和21年)6月の時点で東洋館出版社の前身の東洋館の代表になっているので[10][11]、シベリア抑留を経験していない可能性がある。
- ^ 東洋館出版社の社長に就任したのは1950年(昭和25年)1月だとしている文献もある[2][9]。
- ^ 千代田製帽の創業者・初代代表の坂田登は慶應義塾大学で同期の友人で[14]、帽子について書いた2冊の本が東洋館出版社から出版されている。坂田登の長女の名前は登美子で[15]、長男の坂田泉は建築家である[16]。
- ^ a b 牧書店の創業者・初代社長の牧義雄は教育書協会の初代幹事長で、1969年(昭和44年)5月25日に死去したため[17]、錦織登美夫が引き継いだ。
- ^ 父の東洋館印刷所第2代社長・錦織豊松が1972年(昭和47年)10月23日に死去したため[20]、錦織登美夫が引き継いだ。
- ^ 東洋館印刷所は1978年(昭和53年)11月1日に企業閉鎖した[21]。
出典
[編集]- ^ 『全國書籍商總覽』「新潟縣「名鑑篇」」9頁。
- ^ a b c d e 『第六十版 日本紳士録』「に」155頁。
- ^ a b c 錦織 圭之介:子どもたちの未来のために|塾員クロスロード|三田評論ONLINE
- ^ 『にいがたの近代建築 明治・大正・昭和戦前期の建物』40頁。
- ^ 東洋館ホール - Google ストリートビュー
- ^ 『青山同窓会會報』第30号、4面。『青山同窓会會報』第34号、5面。
- ^ a b 『出版文化人物事典 江戸から近現代・出版人1600人』294頁。『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』256頁。
- ^ a b c 『現代 物故者事典 2006〜2008』481頁。
- ^ a b c 『第二十版 大衆人事録 東京篇』722頁。
- ^ 『昭和21年度版 最新 出版社 執筆者一覽』4・91頁。
- ^ a b 『日販20年のあゆみ』152頁。
- ^ a b 『第6版 出版社調査録 1978年版』256頁。
- ^ 『第六版 産経会社年鑑』557頁。
- ^ 『第四十五版 人事興信錄 上』「さ」126頁。
- ^ 『第二十版 大衆人事録 東京篇』436頁。
- ^ 虹プロジェクト ケニアと日本に虹を架けよう | プロフィール /profile
- ^ 『出版年鑑 1970』162頁。
- ^ 『新潟県年鑑 1973』691頁。
- ^ 『新潟県年鑑 1974』671頁。
- ^ 『新潟日報』1972年10月25日付朝刊、13面。
- ^ 『新潟日報』1978年11月2日付朝刊、4面。
- ^ 【訃報】錦織登美夫氏 88歳 - 文化通信デジタル
- ^ 会社概要 - 東洋館出版社
- ^ 『日本印刷人名鑑』115頁。『越佐人物誌 補遺編』136頁。『新潟日報』1972年10月25日付朝刊、13面。
参考文献
[編集]- 「錦織登美夫」『出版文化人物事典 江戸から近現代・出版人1600人』294頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2013年。
- 「錦織登美夫」『現代 物故者事典 2006〜2008』481頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2009年。
- 「錦織登美夫」『新潟県 人物・人材情報リスト 2021 第1巻』256頁、日外アソシエーツ[編]、日外アソシエーツ、2020年。
- 「錦織登美夫」『第二十版 大衆人事録 東京篇』722頁、帝国秘密探偵社[編]、帝国秘密探偵社、1958年。
- 「錦織登美夫」『第六十版 日本紳士録』「に」155頁、交詢社出版局[編]、交詢社出版局、1970年。
- 「錦織豐松」『日本印刷人名鑑』115頁、日本印刷新聞社[編]、日本印刷新聞社、1955年。
- 「錦織豊松」『越佐人物誌 補遺編』136頁、牧田利平[編]、野島出版、1974年。
- 「錦織豊松氏」『新潟日報』1972年10月25日付朝刊、13面、新潟日報社、1972年。
- 「東洋館書店 錦織良平」『全國書籍商總覽』「新潟縣「名鑑篇」」8-9頁、新聞之新聞社[編]、新聞之新聞社、1935年。
- 「東洋館」『にいがたの近代建築 明治・大正・昭和戦前期の建物』40頁、新潟市歴史博物館[編]、新潟市歴史博物館、2012年。
- 「東洋館印刷所」『新潟県年鑑 1973』691頁、新潟日報社、1972年。
- 「東洋館印刷所」『新潟県年鑑 1974』671頁、新潟日報社、1973年。
- 「東洋館印刷所 企業を閉鎖」『新潟日報』1978年11月2日付朝刊、4面、新潟日報社、1978年。
- 「東洋館出版社」『日販20年のあゆみ』152頁、日販20年のあゆみ 編集委員会[編]、日本出版販売、1969年。
- 「東洋館出版社」『第6版 出版社調査録 1978年版』256頁、丸之内リサーチセンター、1977年。
- 「東洋館」『昭和21年度版 最新 出版社 執筆者一覽』91頁、日本出版協会、1946年。
- 「千代田製帽」『第六版 産経会社年鑑』557頁、産経新聞年鑑局、1966年。
- 「坂田登」『第二十版 大衆人事録 東京篇』436頁、帝国秘密探偵社[編]、帝国秘密探偵社、1958年。
- 「坂田登」『第四十五版 人事興信錄 上』「さ」126頁、興信データ[編]、興信データ、2009年。
- 「牧義雄氏」『出版年鑑 1970』162頁、出版ニュース社、1970年。
- 「在京44回 クラス会 (PDF) 」『青山同窓会會報』第30号、4面、水野清之助[著]、青山同窓会、1980年。
- 「在京44期生の集い (PDF) 」『青山同窓会會報』第34号、5面、水野清之助[著]、青山同窓会、1982年。
関連文献
[編集]- 「交通整理」『写真集 ふるさとの百年 新津・白根』73頁、新潟日報事業社出版部[編]、新潟日報事業社、1981年。
- 「三之町通り (3)・三之町通り (4)」『写真集 ふるさとの百年 新津・白根』9頁、新潟日報事業社出版部[編]、新潟日報事業社、1981年。
外部リンク
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