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鈴木智実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鈴木 智実 Portal:陸上競技
選手情報
フルネーム すずき ともみ
ラテン文字 Tomomi Suzuki
国籍 日本の旗 日本
競技 トラック競技短距離走
種目 100m, 200m
生年月日 (1979-06-05) 1979年6月5日(45歳)
身長 171cm (1997年当時[1]
体重 54kg (1997年当時[1]
成績
国内大会決勝 日本選手権
200m 優勝 (1997年)
自己ベスト
100m 11秒81 (1997年)
200m 23秒76 (1997年)
獲得メダル
陸上競技
日本の旗 日本
アジアジュニア選手権
1997 バンコク 200m
1997 バンコク 4×100mR
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鈴木 智実(すずき ともみ、1979年6月5日 - )は、日本の女子陸上競技選手。専門は短距離走で、200mの自己ベストは元ジュニア日本記録・元日本高校記録の23秒76。1997年にインターハイ200mで3連覇を達成し、高校生ながら同年の日本選手権200mを制した選手である。

経歴

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B型。岡崎市立竜南中学校名古屋経済大学市邨中学校・高等学校卒業。

1996年、インターハイ愛知県予選の200mで追い風参考記録ながら日本記録(当時23秒73)を上回る23秒71(+2.1)をマークすると、その2週間後には日本選手権200mに初出場を果たし2位に入った。迎えたインターハイでは開会式で左目をコンタクトレンズによって痛め、出場予定だった100mと400mを棄権したが、2連続となる100mと4×100mリレーの大会2冠を達成した。インターハイ後の世界ジュニア選手権は4×100mリレーで決勝進出に貢献したが、決勝前のウォーミングアップ中に左脚大腿部に違和感を覚えたので決勝は欠場した。競技人生初の故障で、この故障によって腰痛まで起こし、シーズン後半は故障に苦しまされることになったが、それでも日本ジュニア選手権ジュニアオリンピックの200mを優勝する活躍を見せた[2]

1997年、インターハイ東海大会で2年連続となる100m、200m、400m、4×100mリレーの4冠を達成し、200mでは日本歴代5位タイ・高校歴代2位(ともに当時)の記録となる23秒84(+1.7)をマークした[3]。迎えたインターハイは1週間前に400m欠場を決断し、当初は100mと4×100mリレーに出場予定だった。しかし、前日に急遽100mへの出場を決めると、100mでは初となる全国大会優勝を成し遂げた。優勝本命だった200mは向かい風が強く好タイムは出なかったが、2位に0秒80差をつける24秒44(-2.7)で圧勝し、全種目通じて史上17人目となるインターハイ3連覇を達成した[注 1]。アンカーを務めた4×100mリレーは2着に終わり、200mと4×100mリレーの3連覇はならなかった[4]。日本選手権は決して調子は良くなかったものの、決勝では23秒76(0.0)のジュニア日本記録・日本高校記録(ともに当時)を樹立し、日本歴代2位(当時)の記録で初優勝を成し遂げた[5]

自己ベスト

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  • 100m - 11秒81 (+1.1) 1997年10月26日
  • 200m - 23秒76 (0.0) 1997年10月5日 *ジュニア日本歴代8位(元ジュニア日本記録)・高校歴代5位(元高校記録)

主要大会成績

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脚注

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注釈

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  1. ^ 200mでは第1-3回大会の岡本貴美子、第41-43回大会の熊田恭子(2人とも女子)以来3人目

出典

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  1. ^ a b 「第81回日本選手権チャンピオン名鑑」『月刊陸上競技』第31巻第11号、講談社、1997年11月号、38頁。 
  2. ^ 「新連載「京都インターハイの星」Part①」『月刊陸上競技』第31巻第3号、講談社、1997年3月号、84-85頁。 
  3. ^ 「総力特集 第50回インターハイ地区大会」『月刊陸上競技』第31巻第8号、講談社、1997年8月号、130頁。 
  4. ^ 「総力特集 京都インターハイ」『月刊陸上競技』第31巻第9号、講談社、1997年9月号、54, 60, 76。 
  5. ^ 「日本選手権」『月刊陸上競技』第31巻第11号、講談社、1997年11月号、35頁。 

外部リンク

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