金沢市立紫錦台中学校
表示
金沢市立紫錦台中学校 | |
---|---|
金沢市立紫錦台中学校内に残る「三尖塔校舎」(2017年8月撮影、現・金沢くらしの博物館) | |
北緯36度33分29.023秒 東経136度40分7.885秒 / 北緯36.55806194度 東経136.66885694度座標: 北緯36度33分29.023秒 東経136度40分7.885秒 / 北緯36.55806194度 東経136.66885694度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
併合学校 |
金沢市立崎浦中学校 金沢市立俵中学校 |
校訓 | 和親 協力 自主 責任 |
設立年月日 | 1948年(昭和23年)4月[1] |
創立記念日 | [注釈 1] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C117220100043 |
校地面積 | 21,516[1] m2 |
校舎面積 | 6,228[1] m2 |
所在地 | 〒920-0938 |
外部リンク |
www14 |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金沢市立紫錦台中学校(かなざわしりつしきんだいちゅうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Shikindai Junior High School)は、石川県金沢市飛梅町にある公立中学校。
概要
[編集]旧制中学校の石川県立金沢第二中学校(1899年〈明治32年〉4月創立[6])から受け継いだ「
校名の「紫錦台」は、三尖塔校舎が建てられた小立野台地を指す別称であったという[10]。また、地域の町会名の「紫錦会」[11]にも由来するとの見方があり、その名称は、飛梅町[注釈 2]にあった旧金沢第二中学校の校歌の一節「紫錦が陵の学窓に 集う健児は七百人」[14]から採られたものともいう[15]。
沿革
[編集]- 1948年(昭和23年)4月1日 - 旧石川県立金沢第二中学校の校舎を譲り受けて新設・開校。金沢市立石引町小学校、同新竪町小学校(現・金沢市立犀桜小学校)、同菊川町小学校(現・金沢市立犀桜小学校)を通学区域とする。校章を制定。
- 1950年(昭和25年)
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 金沢市立俵中学校が廃校となり紫錦台中学校に統合。同校下は紫錦台中学校の通学区域となる。
- 1961年(昭和36年)4月5日 - 第一次ベビーブームによる生徒増[注釈 3]のため、石引、兼六、長町、小立野分場を開設。1年毎に第1学年を収容し、授業を実施。
- 1963年(昭和38年)1月 - 昭和38年1月豪雪のため、体育館が傾く[8]。同年、体育館建設工事。
- 1964年(昭和39年)4月1日[19] - 住居表示の実施に伴い、所在地の表記が金沢市石引3丁目となる[20]。
- 1965年(昭和40年)
- 3月10日 - 小立野分場を廃止。
- 6月24日 - 北陸鉄道金沢市内線脱線転覆事故に乗客であった下校中の中学3年・男子生徒1人が遭い、亡くなる[21]。
- 10月7日 - 埼玉県からの家出少年の放火により、職員室、保健室を焼失[22]。
- 1967年(昭和42年)7月8日 - 校舎改築地鎮祭及び起工式を行う。
- 1968年(昭和43年)
- 2月8日 - 第1期工事完了し、新校舎(普通6室、特別室1室、管理1室)を使用開始。
- 5月15日 - 創立20周年記念式を挙行。
- 1969年(昭和44年)4月21日 - 第2期工事完了し、新校舎(普通18室、特別室3室、管理2室)を使用開始。
- 1970年(昭和45年)
- 9月21日 - 第3期工事完了し、新校舎全棟を使用。
- 10月28日 - 新校舎落成式挙行(総工費1億8328万円[23])。これを記念して同窓会より「校訓の像」の寄贈を受ける。
- 1971年(昭和46年)4月6日 - 国立金沢病院小児科病棟に紫錦台中学校すみれ分校[注釈 4]を開設。
- 1974年(昭和49年)2月15日 - 三尖塔校舎が金沢指定文化財に指定される[23][注釈 5]。
- 1975年(昭和50年)4月1日[23] - 石川県立医王養護学校の発足に伴い、すみれ分校が移管され同養護学校の分校となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 -
- 1988年(昭和63年)5月14日 - 創立40周年記念式を挙行。
- 1990年(平成 2年)3月31日 - 情緒障害学級「しきんだい学級」休止。
- 1992年(平成 4年)2月29日 - パソコン教室完成。
- 1995年(平成 7年)4月1日 - 情緒障害児学級「しきんだい学級」開設(再設)。
- 1997年(平成 9年)4月1日 - 金沢大学附属病院内に院内学級を開設。
- 1998年(平成10年)
- 4月1日 - 知的障害学級「しきんだい学級」開設。
- 5月16日 - 創立50周年記念式典並びに同窓会総会を行う。
- 9月1日 - 新「校訓の像」除幕式。
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年)4月1日 - 旧町名復活のための町名変更により、所在地の表記が金沢市石引3丁目4番30号から金沢市飛梅町3番30号へ変更となる[24]。これを機に、学校新聞『とびうめ』を発行し、文化祭を「飛梅祭」と改称する[25]。
- 2001年(平成13年)
- 10月26日 - 文部科学省指定の研究開発校として研究報告会ならびに第3回飛梅祭(総合的な学習成果発表)を開催。
- 11月30日 - 第2パソコン室・LAN設置工事。
- 2002年(平成14年)10月1日 - 各学級にパソコン設置、校内LAN完成。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 肢体不自由学級「しきんだい学級」が設置される。
- 2007年(平成19年)
- 4月1日 - 金沢市学校力向上推進事業推進校に指定される。
- 9月19日 - 学校給食開始。
- 2009年(平成21年)4月1日 - 金沢ユネスコスクール推進校に指定される。
- 2015年(平成27年)10月19日 - 新体育館(屋内運動場)竣工式。
- 2017年(平成29年)11月28日 - 旧校舎「三尖塔校舎」が国重要文化財の指定を受ける(「旧石川県第二中学校本館」)[8]。
通学区域
[編集]《出典:[26]》
- 小立野小学校通学町
- 南小立野小学校通学町(上野本町、笠舞1丁目、小立野3丁目、舘町、舘山町、土清水町、土清水1丁目、土清水2丁目、土清水3丁目、三口新町1丁目、三口新町3丁目、笠舞町、田上本町に限る。)
周辺
[編集]主な卒業生
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 創立記念日については、2000年代(00年代)前半の学校行事予定によると、2001年は5月14日(月曜日)[2]、2004年は5月12日(水曜日)[3]、2005年は5月15日(日曜日)[4]とあって、特定の日付・曜日に固定されていない。
- ^ 旧町名復活前の初代「飛梅町」[12][13]。
- ^ 前年の1960年(昭和35年)5月時点の生徒数は、第1学年819人、第2学年613人、第3学年356人、総数1788人であった[18]。
- ^ すみれ分校は小立野小学校との開設。小児科病棟内の「病弱児学級」は石川県内で初めてであった[23]。
- ^ 同建物はその後、博物館施設「金沢市民俗文化財展示館」(1978年〈昭和53年〉6月開館、現・金沢くらしの博物館)として保存されることとなった[8]。
出典
[編集]- ^ a b c “学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 38. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月22日閲覧。
- ^ 平成13年度 行事予定(金沢市立紫錦台中学校 旧・旧ウェブサイト) - ウェイバックマシン(2003年9月22日アーカイブ分)
- ^ 平成16年度 行事予定(金沢市立紫錦台中学校 旧・旧ウェブサイト) - ウェイバックマシン(2004年5月3日アーカイブ分)
- ^ 平成17年度 行事予定(金沢市立紫錦台中学校 旧・旧ウェブサイト) - ウェイバックマシン(2005年12月19日アーカイブ分)
- ^ “金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2015年4月閲覧。
- ^ 北国新聞社編集局 編『三尖塔遥か――金沢二中の半世紀』北国出版社、1983年8月、30頁。NDLJP:12112802/21。
- ^ 金沢市統計書(1962), p. 262.
- ^ a b c d “三尖塔校舎・金沢二中とは”. 金沢くらしの博物館. 2024年8月28日閲覧。
- ^ a b “学校の概要 - 校歌”. 金沢市立紫錦台中学校. 2024年8月28日閲覧。
- ^ 金商70年史編集委員会 編『金商七十年史』石川県立金沢商業高等学校、1970年10月、106頁。NDLJP:12110061/62。
- ^ “小立野校下の町会 - 紫錦会”. 小立野公民館. 2024年8月31日閲覧。 “紫錦会と云うのは小立野の大学病院前に展開する旧三所町と旧河内町の合同の町会の愛称である。…(中略)…町会名の紫錦は小立野台の愛称で小立野飛梅町にあった旧金沢二中の校歌に、…(中略)…と云うのがあった”
- ^ 金沢市 編『金沢市勢一斑 昭和18年3月刊行』金沢市、1943年3月、6頁。NDLJP:1450749/14。
- ^ 金沢市 編『金沢市統計書 大正6年』金沢市、1919年8月、55頁。NDLJP:975068/40。
- ^ 三尖塔遥か(1983), p. 81.
- ^ “紫錦台の由来について”. レファレンス協同データベース. レファレンス事例詳細. 2024年8月28日閲覧。
- ^ 金沢市立紫錦台中学校 沿革史(金沢市立紫錦台中学校 旧・旧ウェブサイト) - ウェイバックマシン(2002年5月14日アーカイブ分) メニューの中の「本校の沿革史」を選択することが必要。
- ^ “学校の沿革”. 金沢市立紫錦台中学校. 2024年8月28日閲覧。
- ^ 金沢市総務部調査課 編『金沢市統計書』(昭和36年版)金沢市、1962年2月、248-249頁。NDLJP:9527294/138。
- ^ 「告示 自治省告示 第91号」『官報』号外第70号、大蔵省印刷局、1965年6月15日、2頁。
- ^ “旧町名復活・た行”. 金沢市. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月28日閲覧。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、485頁。NDLJP:2994372/247。
- ^ 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 491.
- ^ a b c d “市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年8月28日閲覧。
- ^ 金沢市立紫錦台中学校 旧・旧ウェブサイト トップページ - ウェイバックマシン(2002年5月14日アーカイブ分)
- ^ “飛梅町だより”. 金沢市. 2024年8月31日閲覧。
- ^ “金沢市立中学校生徒通学区域”. 金沢市例規集. 金沢市. 2023年8月閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 金沢市立紫錦台中学校
- 金沢市立紫錦台中学校 旧ホームページ(2020年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 金沢くらしの博物館 - 紫錦台中学校の敷地内にある。