金沢市立小立野小学校
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金沢市立小立野小学校 | |
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北緯36度33分5.8秒 東経136度40分42.6秒 / 北緯36.551611度 東経136.678500度座標: 北緯36度33分5.8秒 東経136度40分42.6秒 / 北緯36.551611度 東経136.678500度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
併合学校 |
金沢市立石引町小学校 金沢市立崎浦小学校 |
設立年月日 | 1959年(昭和34)4月[1] |
創立記念日 | 11月15日[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B117220100045 |
校地面積 | 23,730[1] m2 |
校舎面積 | 6,128[1] m2 |
所在地 | 〒920-0862 |
外部リンク |
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金沢市立小立野小学校(かなざわしりつ こだつのしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Kodatsuno Elementary School)は、石川県金沢市小立野4丁目に所在する公立小学校。
沿革
[編集]- 1871年1月(明治3年12月)[注釈 1] - 金沢藩立小立野小学所[注釈 2]開校[5][7]。
- 1872年9月(明治5年8月) - 石川県区学校規則の発布により、第十区学校となる。
- 1873年(明治6年)3月 -
百々女木 ()小学校と改称。 - 1892年(明治25年)4月1日 - 石引町尋常小学校となる。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 小学校令の改正により、義務教育期間が6年となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い、金沢市立石引町国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、金沢市立石引町小学校と改称。
- 1952年(昭和27年) - 旧藩主前田家より天徳院前田家墓地跡[8]を校地として寄贈され、石引・崎浦新築期成会を結成。
- 1953年(昭和28年)1月 - 建設着工[8]。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 石引町小学校[注釈 3]・崎浦小学校[注釈 4]を合併。金沢市立小立野小学校創立。石引町小学校東分校(所在地:金沢市上鶴間町50の1番地[12])を本校校舎として使用し、石引町小学校旧校舎は小立野小学校石引分校となる[13]。
- 1960年(昭和35年) - 校歌・校旗・校章を制定。
- 1962年(昭和37年)3月31日 - 小立野小学校石引分校を廃止[14]。
- 1963年(昭和38年)11月15日 - 金沢市小立野新町50番地[15](現在地)において新校舎落成式挙行[8]。11月15日を創立記念日とする。
- 1964年(昭和39年)4月1日 - 住居表示の実施に伴い、所在地の表記が金沢市小立野4丁目7番7号となる。
- 1969年(昭和44年) - 創立10周年記念式挙行。
- 1972年(昭和47年)4月1日 - 金沢市立南小立野小学校分離。
- 1973年(昭和48年)5月 - 南部地区へき地複式教育センター併設[16]。
- 1974年(昭和49年) - 校内テレビ放送開始、小立野共同調理場併設。
- 1976年(昭和51年) - 金沢市教育委員会研究校として公開研究会開く(以後、継続的に開く)。
- 1979年(昭和54年) - 創立20周年記念式挙行。
- 1982年(昭和57年) - こだつの学級(情緒障害児学級)開級。
- 1989年(平成元年) - 創立30周年記念式挙行。
- 1997年(平成 9年)4月1日 - 金沢大学附属病院内に病院内学級を設置(紫錦台中学校との設置)。
- 1998年(平成10年) - 金沢市教委研究助成校として成果発表。
- 1999年(平成11年) - 創立40周年集会 ミニ演奏会を開く。
- 2000年(平成12年) - 肢体不自由学級を設置。
- 2001年(平成13年) - 知的障害学級を設置。
- 2002年(平成14年) - 学習評価モデル校として研究実践。
- 2003年(平成15年) - 学校提案型実践推進校指定を受ける。
- 2004年(平成16年) - 金沢市21世紀型新しい学校づくり推進校指定を受ける(2か年度)。
- 2011年(平成23年)6月30日[17] - 校舎改築第1期工事部分(中高学年棟・交流棟・体育館)竣工。
- 2012年(平成24年)3月23日[17] - 校舎改築第2期工事部分(低学年棟)竣工。
- 2013年(平成25年)3月 - 校舎改築第3期工事部分(運動場等外構)竣工。
服装
[編集]主な出身者
[編集]- 島畑奈緒子(バレーボール選手:PFUブルーキャッツ)
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『石川県教育史』、『市史年表 金沢の百年』にある開校日の明治3年12月2日を西暦1871年1月22日に換算。
- ^ 『石川県教育史』掲載の史料では、名称は小立野小学所であって、町名を採って飛梅町小学所とも言われたという[5]。小立野小学所はのちに出羽町3番丁に移転した[6](これ以降、出羽町小学所と改称[5])。
- ^ 金沢市立石引町小学校の所在地は、金沢市上石引町50番地[9]。創立は1871年3月(明治4年2月)。
- ^ 金沢市立崎浦小学校の所在地は、金沢市上野本町庚138番地[10]。創立は1873年(明治6年)9月。閉校を待たずに1958年(昭和33年)12月に小立野小学校校舎へ移転したのち、崎浦小学校の校地・校舎は、同月25日に金沢市より払い下げられて、北陸電波専門学校の崎浦校舎となった(翌年1月5日に小坂町の旧校舎から移転した)[11]。
出典
[編集]- ^ a b c “学校施設、児童生徒数、教職員数一覧”. 金沢の教育(行政編). 金沢市教育委員会. p. 34. 2024年5月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月10日閲覧。
- ^ a b “学校略年表”. 金沢市立小立野小学校. 2024年8月6日閲覧。
- ^ “金沢市学校設置条例 第2条別表”. 金沢市. 2024年9月11日閲覧。
- ^ 沿革概要の詳細(金沢市立小立野小学校 旧・旧ホームページ)(2014年5月17日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ a b c 石川県教育史編さん委員会 編『石川県教育史 第1巻』石川県教育委員会、1974年3月、131-132頁。NDLJP:12115073/98。
- ^ 金沢の百年 明治編(1965), p. 15.
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(明治編)』金沢市、1965年7月、13頁。NDLJP:2994360/11。
- ^ a b c 金沢の百年 大正・昭和編(1967), p. 461.
- ^ 全国学校教育振興会 編『学校年鑑 1959』山陽社、1958年10月、642頁。NDLJP:9524018/334。
- ^ 学校年鑑(1958), p. 643.
- ^ 金沢工大20年史編纂委員会 編『学校法人金沢工業大学20年史』金沢工業大学本部、1977年6月、276頁。NDLJP:12109831/153。
- ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 下巻』金沢市、1969年12月、470頁。NDLJP:9569470/250。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、389頁。NDLJP:2994372/199。
- ^ 金沢市史 現代編 下巻(1969), p. 471.
- ^ 文化研究社編集部 編『全国学校年鑑』(昭和41年版)文化研究社、1966年3月、257頁。NDLJP:3043691/489。出典では、小立野新町を「小立野町」と誤記載。
- ^ 金沢市史編さん委員会 編『金沢市史――現代編 続編』金沢市、1989年12月、1205頁。NDLJP:9572073/627。
- ^ a b 金沢市立小立野小学校改築工事(金沢建設業協会ウェブサイト)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 金沢市立小立野小学校
- 金沢市立小立野小学校 旧ホームページ(2020年11月11日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- まぼろしの崎浦小学校(崎浦公民館) - YouTube