金沢市立俵小学校
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金沢市立俵小学校 | |
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北緯36度32分03.624秒 東経136度43分25.211秒 / 北緯36.53434000度 東経136.72366972度座標: 北緯36度32分03.624秒 東経136度43分25.211秒 / 北緯36.53434000度 東経136.72366972度 | |
過去の名称 |
俵小学校 俵等小学校 俵等尋常小学校 俵等国民学校 浅川村立俵小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 金沢市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)5月[1] |
閉校年月日 | 2014年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制[注釈 1] |
校地面積 | 10,894[1] m2 |
校舎面積 | 1,608[1] m2 |
所在地 | 〒920-1108 |
外部リンク | 金沢市立俵小学校ホームページ(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
金沢市立俵小学校(かなざわしりつ たわらしょうがっこう、英語: Kanazawa Municipal Tawara Elementary School)は、石川県金沢市俵町にかつてあった公立小学校。
沿革
[編集]《主要な出典:[3]》
- 1874年(明治 7年)5月 - 個人宅を借用して第21中学区俵小学校設置。
- 1876年(明治 9年)8月 - 俵等に校舎を新築完成[4]。
- 1887年(明治20年)4月 - 小学校令発布により簡易科設置、俵等小学校と改称[4]。
- 1892年(明治25年)4月 - 小学校令改正により俵等尋常小学校と改称[4]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行に伴い俵等国民学校と改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により浅川村立俵小学校と改称。
- 1957年(昭和32年)4月5日 - 浅川村の金沢市編入に伴い金沢市立俵小学校と改称。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 併設の金沢市立俵中学校を廃止(金沢市立紫錦台中学校に統合)[5]。
- 1970年(昭和45年)7月27日 - 卯辰山・野田山における林間学校環境悪化に伴い、同年度から市教委主催の会場を俵小学校グラウンドに変えて開催開始(のち、1982年8月19日に俵町において市少年自然の家戸室キャンプ場が完成)[6]。
- 1983年(昭和58年)6月24日 - 新校舎落成式[6]。
- 2013年(平成25年)12月16日 - 金沢市学校設置条例の改正可決により田上小学校への統合による廃止予定が確定。
- 2014年(平成26年)
- 3月31日 - 児童数減少により俵小学校閉校。
- 4月1日 - 金沢市立俵小学校を廃止[7]。
- 2018年(平成30年)5月20日[8] - 旧俵小学校校舎を改修のうえ金沢市俵芸術交流スタジオとして活用開始。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d 学校施設、児童生徒数、教職員数一覧(『2013 金沢の教育 行政編』44頁)(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ “市立小学校・中学校の学期制について教えてください。”. 金沢市ホームページ. 2024年8月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年9月27日閲覧。
- ^ 沿革(金沢市立俵小学校ホームページ)(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- ^ a b c 石川郡自治協会 編『石川県石川郡誌 (石川県郷土誌叢刊)』臨川書店、1985年10月、397-398頁。NDLJP:9539867/218。
- ^ 金沢市史編さん室 編『市史年表 金沢の百年(大正・昭和編)』金沢市、1967年6月、389頁。NDLJP:2994372/199。
- ^ a b “市史年表 金沢の百年 昭和続編”. 金沢市図書館. 2024年8月9日閲覧。
- ^ 「金沢市学校設置条例の一部を改正する条例」『金沢市公報』号外第24号、金沢市、2013年12月17日、2頁。
- ^ 「金沢市俵芸術交流スタジオ条例の施行期日を定める規則」『金沢市公報』号外第11号、金沢市、2018年3月30日、1頁。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 金沢市立俵小学校ホームページ(2014年2月12日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
- 金沢市俵芸術交流スタジオ