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金東斌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
金東斌
김동빈
生誕 1923年3月22日
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮咸鏡北道吉州郡
死没 (2002-02-01) 2002年2月1日(78歳没)
カナダの旗 カナダバンクーバー
所属組織  大日本帝国陸軍 大韓民国陸軍
最終階級 少尉(日本陸軍)
中将(韓国陸軍)
墓所 国立大田顕忠院将軍第1墓域12号
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金 東斌(キム・ドンビン、김동빈)は大韓民国軍人企業家太極武功勲章授与者。

経歴

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1923年3月、咸鏡北道吉州郡に生まれる。満州の龍井中学校を卒業。学徒出陣して日本軍少尉。

1946年6月、警備士官学校第1期卒業、任少尉(軍番10114番)[1]、第4連隊(光州)付。

1947年3月、陸軍士官学校生徒隊中隊長。

1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると歩兵学校混成連隊(連隊長:兪海濬中領)が編成され副連隊長。連隊は第1師団(師団長:白善燁大領)の増援として派遣された。7月2日、混成第2師団(師団長:林善河大領)参謀長。1950年7月初めに第11連隊長の崔慶禄が首都師団に転任したので、後任として連隊長に任命される。その後、多富洞、平壌、雲山で勇戦する。

1950年12月、第1師団参謀長。

1951年7月、首都師団(師団長:宋堯讃准将)副師団長。

1951年11月末に歩兵学校高等軍事班に入校して教育を終えると、1952年3月に第9師団(師団長:金鐘五准将)副師団長。

後に砲兵学校特別班で教育を受け、1953年2月に第7師団砲兵団長。

1953年5月、第1師団長。

1954年、アメリカ陸軍指揮幕僚大学卒業。

1955年7月、第2軍参謀長

1956年、陸軍本部兵器監。

1957年、建国大学校卒業。

1959年、国防大学院卒業。陸軍歩兵学校長、陸軍本部企画統制室長、第2軍副司令官を歴任。

1961年5月、第2訓練所長、任中将。

1962年3月、戦闘兵科教育基地司令官。

1963年2月、第5軍団長。

1965年3月、国防部軍需次官補。

1967年3月、予備役編入。7月、大韓浚渫公社社長。

1971年、在郷軍人会事務総長。

叙勲

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  • 太極武功勲章 - 1953年8月27日
  • 乙支武功勲章
  • 忠武武功勲章
  • 花郎武功勲章

出典

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  1. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 上巻』、97頁。 

参考文献

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  • 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国篇 上巻 建軍と戦争の勃発前まで』原書房、1976年。 

参考文献

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