野間村 (京都府)
表示
のまむら 野間村 | |
---|---|
廃止日 | 1955年3月1日 |
廃止理由 |
新設合併 弥栄村、野間村 → 弥栄町 |
現在の自治体 | 京丹後市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 近畿地方 |
都道府県 | 京都府 |
郡 | 竹野郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
1,383人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 宮津市、竹野郡丹後町、弥栄村、与謝郡伊根町、中郡五十河村 |
野間村役場 | |
所在地 | 京都府竹野郡野間村 |
座標 | 北緯35度41分07秒 東経135度09分26秒 / 北緯35.68519度 東経135.15733度座標: 北緯35度41分07秒 東経135度09分26秒 / 北緯35.68519度 東経135.15733度 |
ウィキプロジェクト |
野間村(のまむら)は、かつて京都府竹野郡にあった村。現在の京丹後市弥栄町須川・弥栄町野中にあたる。
地理
[編集]地形
[編集]- 山岳
- 河川
集落
[編集]- 字野中
- 字須川
- 霰(あられ) - 洞養寺がある[1]。
- 味土野(みどの) - 細川ガラシャが幽閉された地とされる[1]。
- 大谷(おおたに) - アマゴの養殖場がある[1]。
- 来見谷(くるみだに)
- 須川(すがわ) - 手掘りの須川トンネルがある[1]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、与謝郡須川村・野中村の区域をもって与謝郡野間村が発足。
- 1899年(明治32年)7月 - 大石集落が八木村に編入される[2]。
- 大正中期 - 野間村役場に電話が開通する[2]。
- 1919年(大正8年) - 野間村に初めて電灯が付く[2]。
- 1926年(大正15年)4月 - 野間郵便局が開局する[2]。
- 1948年(昭和23年)4月1日 - 所属郡が竹野郡に変更されて竹野郡野間村となる[2]。成谷集落は与謝郡日ケ谷村に編入される[2]。
- 1949年(昭和24年)7月 - 丹海バスの野間~峰山路線の運行が開始される[2]。
- 1951年(昭和26年)4月 - 野間村立診療所が開設される[2]。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 弥栄村と合併して弥栄町が発足。同日野間村廃止。
行政
[編集]歴代村長
[編集]- 木下伊左衛門 - 1889年(明治22年)4月就任。
- 久江久兵衛 - 1891年(明治24年)11月12日就任。
- 藤原勇左衛門 - 1895年(明治28年)11月25日就任。
- 久江久兵衛 - 1897年(明治30年)10月8日就任。
- 和田市蔵 - 1900年(明治33年)3月17日就任。
- 安田浅蔵 - 1900年(明治33年)10月26日就任。
- 田畑勘蔵 - 1902年(明治35年)4月17日就任。
- 羽賀幾蔵 - 1904年(明治37年)4月12日就任。
- 久江藤蔵 - 1908年(明治41年)4月29日就任。
- 赤松猪蔵 - 1908年(明治41年)6月1日就任。
- 久江藤蔵 - 1912年(明治45年)6月6日就任。
- 田畑六蔵 - 1916年(大正5年)6月6日就任。
- 木下忠蔵 - 1920年(大正9年)6月6日就任。
- 角江熊蔵 - 1924年(大正13年)6月6日就任。
- 和田市蔵 - 1928年(昭和3年)6月6日就任。
- 金久仲蔵 - 1929年(昭和4年)12月24日就任。
- 羽賀幾蔵 - 1932年(昭和7年)6月24日就任。
- 三本国蔵 - 1934年(昭和9年)3月22日就任。
- 田畑六蔵 - 1935年(昭和10年)1月7日就任。
- 木下為蔵 - 1936年(昭和11年)12月23日就任。
- 田畑浅治 - 1938年(昭和13年)7月27日就任。
- 田畑覚治 - 1942年(昭和17年)7月28日就任。
- 田畑増治 - 1945年(昭和20年)5月23日就任。
- 木村勝治 - 1947年(昭和22年)4月10日就任。
- 金森金作 - 1953年(昭和28年)9月26日就任。
- 出典 : 『ふるさと野間』[3]
教育
[編集]- 野間村立野間小学校 - 1907年(明治40年)4月に須川校と野中校が合併し、野中の現在地に高等科を併置した野間尋常高等小学校が開校した。戦時中の1941年(昭和16年)4月には与謝郡野間村立野間国民学校に改称し、戦後の1947年(昭和22年)4月には野間村立野間小学校に改称した。1955年(昭和30年)3月1日には弥栄町が発足して弥栄町立野間小学校に改称した。2004年(平成16年)4月1日には京丹後市が発足して京丹後市立野間小学校に改称し、2014年(平成26年)3月に閉校となった。
-
1944年の野間小学校
名所・旧跡・観光スポット
[編集]- 大宮神社(字野中) - 野中集落。「野中の田楽」は記録作成等の措置を講ずべき無形文化財(選択無形文化財)。
- 延命寺(字野中) - 中津集落。宗派は曹洞宗。山号は宝珠山。本尊は華厳の釈迦牟尼仏。境内には樹齢数百年のシイの老木がある[4]。根元の周り8m、根張の広さ8m四方、高さ20m。天然記念物的存在とされる。
- 洞養寺(字須川) - 霰(あられ)集落。宗派は曹洞宗。山号は竜光山。本尊は釈迦仏。円錐形に刈り込まれたツバキがある[1]。
- 須川トンネル - 1939年(昭和14年)に竣工した手掘りのトンネル。
-
延命寺
-
延命寺のシイ
-
洞養寺
-
洞養寺のツバキ
-
須川トンネル
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 26 京都府』角川書店、1982年