野崎正剛
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野崎 正剛(のざき せいごう、1931年5月3日 - 1989年9月3日)は、大蔵官僚。世界銀行東京事務所長、大蔵省大臣官房審議官、大蔵省国際金融局次長、大蔵省印刷局長などを歴任。
略歴
[編集]福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、1956年一橋大学商学部卒業、大蔵省入省[1][2]。大臣官房調査課(現在の総合政策課)配属[3]。省内屈指の語学力を持ち国際畑を歩み[4]、1973年大蔵省大臣官房財務官室長[5]。1974年横浜税関総務部長[6]、通関士試験試験委員[7]。1975年大蔵省関税局国際第二課長[8]。
1976年国際連合貿易開発会議日本政府代表代理[9]。同年近畿財務局総務部長[10]。1977年から大蔵省関税局国際第一課長を務め[11]、東京ラウンドの取りまとめにあたった[4]。1979年関税及び貿易に関する一般協定締約国団会議日本政府代表代理[12]。
1980年世界銀行東京事務所長[13]。1982年大蔵省大臣官房審議官(援助問題担当)[4][14]、国際農業開発基金総務会日本政府代表代理[15]、投資紛争解決国際センター理事会年次会合日本政府代表代理[16]。
1984年大蔵省国際金融局次長[17]。1985年大蔵省印刷局長[18]。1986年に退官後[19]、野崎国際事務所を設立して、住友生命顧問などに就いていたが、1989年に急性心不全のため死去した[20][21]。同年従四位勲三等瑞宝章[22]。
著書
[編集]- 『日本と世界銀行』世界銀行東京事務所 1981年
脚注
[編集]- ^ 「官僚新人国記(28)福島県 東京弁で話す首都圏人 」時評 28(1)(281) 1986-01
- ^ 一橋基督教青年会 〜130 年史〜一橋基督教青年会
- ^ 『日本の官庁 その人と組織:大蔵省、通商産業省、経済企画庁』政策時報社、1982年5月発行、529頁
- ^ a b c 日経公社債情報 6月7日(291)
- ^ 官報昭和48年本紙第14020号 14頁
- ^ 官報昭和49年本紙第14269号 10頁
- ^ 官報昭和49年本紙第14275号 8頁
- ^ 官報昭和50年本紙第14474号 5頁
- ^ 官報昭和51年本紙第14791号 12頁
- ^ 官報昭和51年本紙第14849号 13頁
- ^ 官報昭和52年本紙第15139号 7頁
- ^ 官報昭和54年本紙第15857号 15頁
- ^ 世界銀行と日本人職員の 60 年1818 Society 日本支部
- ^ 官報昭和57年本紙第16600号 14頁
- ^ 官報昭和57年本紙第16623号 13頁
- ^ 官報昭和57年本紙第16677号 16頁
- ^ 官報昭和59年本紙第17220号 6頁
- ^ 官報昭和60年本紙第17515号 10頁
- ^ 官報昭和61年本紙第17797号 11頁
- ^ 金融財政事情 40(21)(1894);1989・6・5
- ^ インシュアランス. Insurance 9月号第2集(3382) 生保版
- ^ 官報平成1年本紙第206号 12頁
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