野依辰治
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野依 辰治(のより たつじ、1880年(明治13年)1月[1] - 1940年(昭和15年)3月2日[2])は、日本の実業家。三井生命保険取締役会長[3][4]。生命保険会社協会理事[4]。族籍は福岡県平民[5][6]。養子・金城の長男はノーベル化学賞を受賞した野依良治である。
人物
[編集]福岡県人・野依範治の長男[1][7][8]。1901年、第五高等学校大学予科第一部(法科)を卒業[3][6]。1905年、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[5][7][9][10]。1917年、家督を相続する[8]。
三井物産東京本店に入る[9]。1910年、選ばれてドイツに出張を命ぜられ、未取引地方の開拓に努力する[9]。同社金物部長、営業部長、大阪支店長、専務取締役を経て三井生命保険取締役会長兼常務取締役である[4]。
宗教は真宗[4]。趣味は読書、散歩[4]。住所は東京市品川区上大崎[1][4]。
家族・親族
[編集]- 野依家
- 父・範治[4](1854年 - 1917年、朝吹泰蔵の三男[11]、野依半七郎の養子[11])
- 母・クワ(1860年 - ?、野依半七郎の二女)[8]
- 弟・次郎(1884年 - ?、樺太鉄道常務)[4]
- 妻・信(1888年 - ?、東京、福原信和の叔母[4]、福原信三の妹[5])
- 養子・金城(1911年 - ?、養子・鈴子の夫、塩川三四郎の三男[4]、鐘淵化学工業専務)
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c 『大衆人事録 第12版 東京篇』528頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ 『昭和物故人名録 : 昭和元年~54年』日外アソシエーツ、1983年、p.387。
- ^ a b 『五高人物史』物故16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年10月5日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第12版 下』ノ31頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第7版』の3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b 『第五高等学校一覧 明治34-35年』163 - 164頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b 『帝国大学出身名鑑』ノ18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第10版 下』ノ29頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b c 『大阪財界人物史』330 - 331頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年8月13日閲覧。
- ^ 『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』学士及卒業生姓名 法学士 法律学科93頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月14日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第5版』の2 - 3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 第五高等学校編『第五高等学校一覧 明治34-35年』梅田平次郎、1889 - 1912年。
- 東京帝国大学編『東京帝国大学一覧 從大正5年 至大正6年』東京帝国大学、1913 - 1924年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 国勢協会編『大阪財界人物史』国勢協会、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 校外調査会編『帝国大学出身名鑑』校外調査会、1932年。
- 人事興信所編『人事興信録 第10版 下』人事興信所、1934年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第12版 東京篇』帝国秘密探偵社ほか、1938年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
- 五高人物史刊行会編『五高人物史』五高人物史刊行会、1959年。