野依範治
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野依 範治(のより はんじ、旧姓・朝吹、1854年1月29日(安政元年1月1日)[1] - 1917年(大正6年)12月23日[2])は、日本の会社役員。多久鉱業、古賀山炭坑各取締役[1]。族籍は福岡県平民[1][3]。
人物
[編集]豊前国下毛郡宮園村(現・大分県中津市耶馬溪町大字宮園)出身。朝吹泰蔵の三男[1][3]。1864年に野依半七郎の養子となり、1877年に家督を相続する[1][3]。会社の重役である[1][3]。住所は佐賀市西田代町[1][3]。
家族・親族
[編集]- 野依家
- 養父・半七郎[1][3]
- 妻・クワ(1860年 - ?、養父半七郎の二女)[1][3]
- 養弟・三治(1872年 - ?、大分、川谷彦三郎の養子)[1][3]
- 長男・辰治[1](1880年 - 1940年、三井生命保険取締役会長)
- 二男・次郎[1](1884年 - ?、樺太鉄道常務)
- 長女・キヌ(1901年 - ?、野依丑五郎の養子)[3]
- 孫[1]
- 親戚
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。