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幾春別駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
郁春別駅から転送)
幾春別駅
いくしゅんべつ
Ikushumbetsu
弥生 (1.3 km)
地図
所在地 北海道三笠市幾春別町1丁目
北緯43度15分38.5秒 東経141度57分25.5秒 / 北緯43.260694度 東経141.957083度 / 43.260694; 141.957083座標: 北緯43度15分38.5秒 東経141度57分25.5秒 / 北緯43.260694度 東経141.957083度 / 43.260694; 141.957083
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 幌内線
電報略号 イク
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1888年明治21年)12月10日[1]
廃止年月日 1987年昭和62年)7月13日[1]
キロ程 18.1 km(岩見沢起点)
キロ程 7.2 km(三笠起点)
備考 幌内線廃線に伴い廃駅
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幾春別駅(いくしゅんべつえき)は、かつて北海道三笠市幾春別町1丁目に置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線(支線)の廃駅)である。電報略号イク事務管理コードは▲131523[2]

歴史

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1976年の幾春別駅と周囲1 km範囲。左が岩見沢方面。すぐ南を幾春別川が西へ流れ、右端上流側では北から奔別川が合流する。単式ホーム1面1線、駅舎横の貨物ホームに引込み線、駅裏に5-6本の仕分線、外側に転車台の残る機回し線を有する。各線は右方駅端で一旦合流した後3本に分かれ、再び合流して折り返し線となって長く伸びている。
三笠から幾春別まで延伸する要因となった北炭幾春別炭鉱は、写真右端、幾春別川を挟んだ川向にあった。駅端の折り返し線は元来この炭鉱の石炭積み込み線であり、ホッパーが設けられて、川向からコンベアで運ばれた石炭がここで貨車に積まれた[3][4]。1957年(昭和32年)の閉山から約20年が経ち、その痕跡は殆ど残されていない。岩見沢方分岐点付近から上へ180°近いカーブを描いているのは、この写真の5年前に閉山した住友奔別炭鉱の専用線で[3][4]、炭鉱設備や軌道跡が残されている。またその分岐点の先の木々の影になっている辺りから左端川沿いに見える営林署管轄のストックヤード(土場)中央へ向かって引込み線が伸びていたが[3][4]、既に撤去されて久しく、こちらは軌道跡が畦道等に転用されている。このヤードへは昭和30年まで幾春別森林鉄道が敷かれていた[3][4]国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

官営幌内鉄道幾春別支線は、幌内太駅(三笠駅)より1マイル延伸しただけで建設を中断し放置されていたが、幾春別からの出炭及び販売を当初から目標として掲げ、当鉄道の業務を委託された北有社によって延伸開業された。当初は空知集治監の囚人が炭鉱労役に就いていたため、出炭駅である当駅や幌内駅の一般人の利用は多くなかったが、集治監の廃止による一般人の採用や幾春別炭砿の採炭量増加、奔別炭砿の開発により周辺人口が増えたこともあり、利用客が徐々に増え、特に戦後の増産体制によって一気に増加した。

年間乗降客数は1958年度(昭和33年度)に746,441人を記録しており、幌内線では三笠駅に次いで多かった。一方貨物の方は2つの大手炭鉱を擁していた[注 1]ため取扱量は同線で最大で、1963年(昭和38年)には発送量1,316,213 tと幌内駅の2倍以上を記録している。このため貨車扱い要員が多く駅員数も最多で、特に戦時中は女子採用者が多く、重労働であったためか、1942年(昭和17年)には70人という大所帯であった。

2021年現在でもホームの末端部と、構内にあったアカダモの木が残っている。

年表

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北海道炭礦鉄道 1858年の路線図

駅名の由来

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当駅が所在した地名より。幾春別川の川名から付いたものであるが、川名それ自体の由来となったアイヌ語は当地の様子が由来ではなく下流域(幌向付近)の様子からついたものである。

1882年(明治15年)前後の幌内村形成後から開拓者が入り始め、「郁春別」の当て字を付け、それが駅名となり、上流域の地名として定着した[10][11]

1889年(明治22年)5月28日に幾春別村が発足し、駅名も字が変更された[12][11]

駅構造

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廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する無人駅であった。

駅周辺

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  • 幾春別炭鉱
  • 幾春別市民センター
  • 幾春別郵便局
  • 北海道中央バス「幾春別町」停留所
1955年の石狩炭田地図

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
幌内線
弥生駅 - 幾春別駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 昭和32年までは住友奔別炭砿と北炭幾春別炭砿、昭和34年からは住友奔別炭砿と同弥生炭砿。
  2. ^ 「北海道炭礦鐡道 第一回報告 明治22年 明治23年2月26日報告」5頁では「郁春別」と記されているが、「第二回報告 明治23年上半期 明治23年6月30日報告」12頁からは「幾春別」になっている。
  3. ^ 山県は明治40年倒産。その後に日本興業(奔別炭礦/山下鉱業/山下汽船鉱業)、昭和2年12月から住友合資(住友鉱業/井華鉱業/住友石炭鉱業)と所有者及び社名変遷。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、842-843頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d 1947年撮影航空写真 USA-M584-18(国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス)
  4. ^ a b c d 1954年測量2万5千分の1地形図「幾春別」
  5. ^ 『官報』 1890年11月25日 鉄道庁彙報「列車運転休止」(国立国会図書館デジタルコレクション) 駅名がまだ「郁春別」のまま。
  6. ^ a b c d e f g h 三笠市史 昭和46年3月発行。
  7. ^ 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道 停車場一覧』日本国有鉄道、1985年9月20日、189, 499頁。doi:10.11501/12065988ISBN 4-533-00503-9https://dl.ndl.go.jp/pid/12065988 
  8. ^ “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日) 
  9. ^ 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
  10. ^ 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 別巻〉、2018年11月30日、43頁。ISBN 978-4-88323-114-0 
  11. ^ a b 新三笠市史 平成5年1月発行 P32等。
  12. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、61頁。ASIN B000J9RBUY 

関連項目

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