萱野駅
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萱野駅 | |
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かやの Kayano | |
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所在地 | 北海道三笠市萱野 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 幌内線 |
キロ程 | 6.3 km(岩見沢起点) |
電報略号 | カヤ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1913年(大正2年)9月11日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)7月13日[1] |
備考 | 幌内線廃線に伴い廃駅 |
萱野駅(かやのえき)は、北海道三笠市萱野にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線の駅(廃駅)である。電報略号はカヤ。事務管理コードは▲131501[2]。
歴史
[編集]純農村地域で、早くから農地開墾が進み、現在の三笠市内や岩見沢市内への農産物供給地であった。1898年(明治31年)頃から当地区の有志による駅設置運動があったが、1910年(明治43年)から三笠山村(当時)として当駅開設の陳情を開始し、1912年(明治45年)6月に受理、同年11月工事着工となった。開駅の翌年1914年(大正3年)には日本製麻萱野工場が近くで操業を開始し、1925年?(大正14年)の工場閉鎖まで当駅は活況を呈した。当駅開設の理由としてこの工場開設によるものとの説もある。当工場閉鎖により当駅利用も一時低下したが、周辺地域人口の増加に伴い回復した[3]。
年表
[編集]- 1913年(大正2年)9月11日:鉄道院幌内線の萱野駅として開業[4]。一般駅[4]。
- 1981年(昭和56年)5月25日:貨物・荷物の取り扱いを廃止[5]。駅員無配置駅となる[6]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:簡易委託駅化。
- 1987年(昭和62年)
駅名の由来
[編集]開拓当初に萱や葦が密生していたので、1887年(明治20年)頃の入植者が地区名とした[7][8]。
駅構造
[編集]廃止時点で、島式ホーム(片面使用)1面1線を有する無人駅であったが、以前は島式ホーム1面2線を有した列車行き違い可能駅であった。開業当時からの駅舎が、構内の北側に位置していた。
駅周辺
[編集]- 三笠市立萱野中学校
- 北海道中央バス(高速みかさ号)「萱野」停留所
駅跡
[編集]旧萱野駅舎内は廃線後荒廃していたが、地元町内会による修繕の後2000年代よりライダーハウスとして使用されており、2020年時点では4月から10月にかけ近隣の理髪店が管理を請け負う形で営業され、またホームには車掌車ヨ8103が連結器に時計を付けた形で保存されている[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、841頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 新三笠市史 平成5年発行、幌内線史 昭和63年発行等による。
- ^ a b 『官報』 1913年09月10日 鉄道院告示第72号(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日)
- ^ “「通報」●幌内線萱野駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1981年5月23日)
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、60頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 新三笠市史 平成5年1月発行、P28。
- ^ 【北海道の鉄道発祥地 幌内線・鉄道遺産を訪ねて (1)】1,000円で宿泊可能なライダーハウスに転用された「萱野駅」 - 鉄道チャンネル