弥生駅 (北海道)
表示
弥生駅 | |
---|---|
やよい Yayoi | |
◄唐松 (2.0 km) (1.3 km) 幾春別► | |
所在地 | 北海道三笠市弥生町1丁目 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 幌内線 |
電報略号 | ヤヨ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1948年(昭和23年)1月25日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)7月13日[1] |
キロ程 | 16.8 km(岩見沢起点) |
キロ程 | 5.9 km(三笠起点) |
備考 | 幌内線廃線に伴い廃駅 |
弥生駅(やよいえき)は、かつて北海道三笠市弥生町1丁目に設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)幌内線(支線)の駅(廃駅)である。電報略号はヤヨ。事務管理コードは▲131522[2]。
歴史
[編集]当地の住民による請願駅であった。
年表
[編集]- 1927年(昭和2年):東邦炭砿株式会社弥生砿が、当駅の位置より三笠寄り本線脇に選炭場とポケットおよび積込み線を設置(幾春別駅への馬車軌道廃止)。
- 1931年(昭和6年):東邦炭砿弥生砿、三笠寄りの施設を廃止し、当駅位置より幾春別側山寄りに選炭場とポケットおよび積込み線を設置。
- 1945年(昭和20年)4月30日:住友鉱業、東邦炭砿より弥生砿を買収。
- 1948年(昭和23年)1月25日:運輸省幌内線の弥生仮乗降場として開業[1]。
- 1951年(昭和26年)12月20日:駅に昇格[3]。旅客・荷物を取り扱い[3]。
- 1960年(昭和35年)10月1日:住友石炭鉱業弥生炭鉱、奔別炭鉱と統合。奔別側からの出炭に切り替え、弥生側施設廃止。同時に専用線廃止。
- 1967年(昭和42年):業務委託化。
- 1970年(昭和45年):弥生炭鉱が閉山。
- 1972年(昭和47年)11月1日:三笠駅 - 幌内駅間が旅客営業を廃止し貨物支線となったため、岩見沢駅 - 幾春別駅間が本線となる[4]。
- 1981年(昭和56年)5月25日:荷物の取り扱いを廃止[5]。駅員無配置駅となる[6]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:簡易委託駅化。
- 1987年(昭和62年)
駅名の由来
[編集]この地域の地区名より。1914年(大正3年)に村井弥吉が炭鉱の試掘をはじめ、弥生炭砿と名付けられたものが地区名となったものである。
この「弥生」の由来については、「開坑の時期が弥生の節句(3月3日)であった[7]」とする説や、「弥吉が生んだ炭鉱という意味[8]」とする説がある。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する無人駅(簡易委託駅)であった。1987年1月末に不審火により駅舎は焼失してしまい、廃止時点ではプレハブ小屋を駅舎として利用していた。
駅周辺
[編集]- 三笠弥生郵便局
- 北海道中央バス「弥生町」停留所
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、842頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 「日本国有鉄道公示第336号」『官報』1951年12月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道 停車場一覧』日本国有鉄道、1985年9月20日、189, 499頁。doi:10.11501/12065988。ISBN 4-533-00503-9 。
- ^ “日本国有鉄道公示第29号”. 官報. (1981年5月23日)
- ^ “「通報」●幌内線萱野駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 2. (1981年5月23日)
- ^ 新三笠市史 平成5年1月発行、「わが社のあゆみ」住友石炭鉱業 平成2年11月。なお、村井弥吉の名前に結びつけた説も稀に見られるが、当事者であった三笠市や住友ではその説には全く触れていない。
- ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、61頁。ASIN B000J9RBUY。