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遠山友将

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
遠山友将
中津川市苗木遠山史料館所蔵
時代 江戸時代中期
生誕 正徳5年9月9日1715年10月6日
死没 享保17年閏5月21日1732年7月12日
別名 幼名:勝三郎→友章
戒名 白峯寺殿前豊州大守大哲常雄居士
官位 従五位下・豊前守
幕府 江戸幕府
主君 徳川吉宗
美濃苗木藩
氏族 苗木遠山氏
父母 父:友由、母:高木正陳の娘
養子:友央[1]
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遠山 友将(とおやま ともまさ)は、美濃苗木藩の第6代藩主。

略歴

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正徳5年9月9日1715年10月6日)、苗木城で生まれた。

享保7年(1722年)6月15日、父の死で家督を嗣いだが、父の遺言に従い、叔父の遠山友央に美濃国加茂郡内の500石を分知したため、苗木藩は、1万21石5斗2升となった。

享保8年(1723年)3月、御家御条目二十一ヶ条を公布し、身分秩序の維持・質素倹約の励行を規定した。

享保10年(1725年)8月15日、将軍・徳川吉宗に御目見えした。

享保12年(1727年)12月18日、従五位下に叙任され豊前守と称した。

享保14年(1729年)3月15日、苗木藩主となって初めて苗木城へ帰城した。

以後、幸橋御門番・日比谷御門番・駿府加番などを任じられた。

享保17年閏5月21日1732年7月12日)江戸で没した。享年18歳。

未婚で嗣子が無かったため、苗木藩主は、分家して旗本となっていた叔父の遠山友央が嗣いだ。

墓所は中津川市苗木の苗木遠山家廟所。

参考文献

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  • 『苗木藩政史研究』 第一章 苗木藩の成立 第一節 苗木藩の成立事情 二 歴代藩主の素描 六代豊前守友将 p12~p13 後藤時男 中津川市 1982年
  • 『中津川市史 中巻Ⅰ』 第五編 近世(一) 第一章 支配体制と村のしくみ 第三節 領主の略系譜 一 遠山家 遠山豊前守友将 p47 中津川市 1988年 
  • 『恵那郡史』 第七篇 江戸時代 (近世「領主時代」) 第二十八章 諸藩分治 其二 苗木藩距江戸 遠山友将 p234~p235 恵那郡教育会 1926年 
  • 『福岡町史 通史編 下巻』 第五部 近世 第一章 近世における苗木藩の概観 第一節 苗木藩成立と領村支配 苗木遠山氏と藩主 p1~p8 福岡町 1992年

脚注

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  1. ^ 遠山友春の三男