遠山友将
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中津川市苗木遠山史料館所蔵 | |
時代 | 江戸時代中期 |
生誕 | 正徳5年9月9日(1715年10月6日) |
死没 | 享保17年閏5月21日(1732年7月12日) |
別名 | 幼名:勝三郎→友章 |
戒名 | 白峯寺殿前豊州大守大哲常雄居士 |
官位 | 従五位下・豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 美濃苗木藩 |
氏族 | 苗木遠山氏 |
父母 | 父:友由、母:高木正陳の娘 |
子 | 養子:友央[1] |
遠山 友将(とおやま ともまさ)は、美濃苗木藩の第6代藩主。
略歴
[編集]正徳5年9月9日(1715年10月6日)、苗木城で生まれた。
享保7年(1722年)6月15日、父の死で家督を嗣いだが、父の遺言に従い、叔父の遠山友央に美濃国加茂郡内の500石を分知したため、苗木藩は、1万21石5斗2升となった。
享保8年(1723年)3月、御家御条目二十一ヶ条を公布し、身分秩序の維持・質素倹約の励行を規定した。
享保10年(1725年)8月15日、将軍・徳川吉宗に御目見えした。
享保12年(1727年)12月18日、従五位下に叙任され豊前守と称した。
享保14年(1729年)3月15日、苗木藩主となって初めて苗木城へ帰城した。
以後、幸橋御門番・日比谷御門番・駿府加番などを任じられた。
享保17年閏5月21日(1732年7月12日)江戸で没した。享年18歳。
未婚で嗣子が無かったため、苗木藩主は、分家して旗本となっていた叔父の遠山友央が嗣いだ。
墓所は中津川市苗木の苗木遠山家廟所。
参考文献
[編集]- 『苗木藩政史研究』 第一章 苗木藩の成立 第一節 苗木藩の成立事情 二 歴代藩主の素描 六代豊前守友将 p12~p13 後藤時男 中津川市 1982年
- 『中津川市史 中巻Ⅰ』 第五編 近世(一) 第一章 支配体制と村のしくみ 第三節 領主の略系譜 一 遠山家 遠山豊前守友将 p47 中津川市 1988年
- 『恵那郡史』 第七篇 江戸時代 (近世「領主時代」) 第二十八章 諸藩分治 其二 苗木藩距江戸 遠山友将 p234~p235 恵那郡教育会 1926年
- 『福岡町史 通史編 下巻』 第五部 近世 第一章 近世における苗木藩の概観 第一節 苗木藩成立と領村支配 苗木遠山氏と藩主 p1~p8 福岡町 1992年