辰馬悦蔵 (3代)
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3代辰馬 悦蔵(たつうま えつぞう、前名・寛爾[1][2][3]、1892年(明治25年)12月2日[4] - 1980年(昭和55年)8月17日[5])は、日本の酒造家、実業家、兵庫県多額納税者[1][6]。辰馬悦蔵商店社長[2]。北辰馬家第三代当主。
経歴
[編集]兵庫県西宮市出身。先代辰馬悦蔵の長男[1][2]。1917年、家督を相続し前名・寛爾を改め襲名した[1][2]。1918年、京都帝国大学史学科卒業[1][2][7]。
酒造業を営み、銘酒白鷹の醸造元として知られたが、1929年、酒造業の全般を株式会社辰馬悦蔵商店に移して自らその社長となり、経営に努めた[1]。後これを退き、その取締役となった[1]。1976年、辰馬考古資料館設立。
人物
[編集]3代悦蔵は京都帝国大学に学び、家業の酒造のかたわら、考古学の研究と考古資料の収集に努めた。なかでも銅鐸のコレクションは質・量ともに日本有数のものである。彼は、大阪湾沿岸周辺で数多く出土する銅鐸が現地にとどまらずに散逸し、一部は海外に流出していることを知り、研究資料の保全のためには自ら収集するほかないと考えた[8]。(詳細は辰馬考古資料館の項参照。)
貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。宗教は真宗[1][2]。住所は兵庫県西宮市鞍掛町[1][2]。
栄典
[編集]- 1928年10月24日 - 紺綬褒章[9]
- 1932年7月16日 - 紺綬褒章[9]
- 1934年5月5日 - 紺綬褒章[9]
- 1936年5月5日 - 紺綬褒章[9]
- 1940年9月2日 - 紺綬褒章[9]
- 1939年12月、恩賜財団済生会兵庫県支部事業資金として金1万9千350円を寄付する[9]。
- 1941年12月27日 - 紺綬褒章[9]
- 1941年2月、県社西宮神社森林保護資金として金1万を寄付する[9]。
家族・親族
[編集]- 辰馬家
- 祖父・初代悦蔵[10](1835年 - 1920年、悦叟、酒造家、北辰馬家初代当主) - 第十代辰馬吉左衛門の三女の婿である[10]。“北辰馬”と称し、辰馬吉左衛門の分家である[11]。
- 父・二代悦蔵[2](兵庫平民[3]、酒造家、北辰馬家第二代当主)
- 母・もん(1865年 - ?、祖父悦叟の長女)[2]
- 弟・喬男(1902年 - ?)[2]
- 妹・隆子(1894年 - ?、分家、辰馬尚次郎の妻)[1]
- 妻・綾子(1899年 - ?、愛知、榎並喬一の妹[1]、榎並庄兵衛の長女[2])
- 男・寛男[1](1929年 - 2003年、白鷹社長、北辰馬家第四代当主)
- 二男[1][2]
- 親戚
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第13版 下』タ219頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第12版 下』タ245頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第6版』た122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
- ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
- ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、761頁。
- ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月28日閲覧。
- ^ 『京都帝国大学一覧 自大正8年 至大正9年』卒業生姓名 文学士 史学科434頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
- ^ 高井悌三郎「収蔵考古資料についての覚書」『考古資料図録』、財団法人辰馬考古資料館、1988、p.153
- ^ a b c d e f g h i j k l 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』267、405、426 - 427、460、620、722頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月18日閲覧。
- ^ a b 尾崎耕司「歴史にみる西宮・阪神 ―近代黎明期をめぐって―」『平成23年度大手前大学公開講座講義録「歴史と文化の旅」』、大手前大学、55-78頁、2012年 。
- ^ 『兵庫県における貴族院議員の互選』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月19日閲覧。