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辰馬悦蔵 (3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
辰馬悦蔵から転送)

3代辰馬 悦蔵(たつうま えつぞう、前名・寛爾[1][2][3]1892年明治25年)12月2日[4] - 1980年昭和55年)8月17日[5])は、日本酒造家、実業家兵庫県多額納税者[1][6]。辰馬悦蔵商店社長[2]。北辰馬家第三代当主。

経歴

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兵庫県西宮市出身。先代辰馬悦蔵の長男[1][2]1917年家督を相続し前名・寛爾を改め襲名した[1][2]1918年京都帝国大学史学科卒業[1][2][7]

酒造業を営み、銘酒白鷹の醸造元として知られたが、1929年、酒造業の全般を株式会社辰馬悦蔵商店に移して自らその社長となり、経営に努めた[1]。後これを退き、その取締役となった[1]1976年辰馬考古資料館設立。

人物

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3代悦蔵は京都帝国大学に学び、家業の酒造のかたわら、考古学の研究と考古資料の収集に努めた。なかでも銅鐸のコレクションは質・量ともに日本有数のものである。彼は、大阪湾沿岸周辺で数多く出土する銅鐸が現地にとどまらずに散逸し、一部は海外に流出していることを知り、研究資料の保全のためには自ら収集するほかないと考えた[8]。(詳細は辰馬考古資料館の項参照。)

貴族院多額納税者議員選挙の互選資格を有した[4]。宗教は真宗[1][2]。住所は兵庫県西宮市鞍掛町[1][2]

栄典

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家族・親族

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辰馬家
親戚

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m 『人事興信録 第13版 下』タ219頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 『人事興信録 第12版 下』タ245頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
  3. ^ a b 『人事興信録 第6版』た122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
  4. ^ a b 『貴族院多額納税者名鑑』83頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月27日閲覧。
  5. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、761頁。
  6. ^ 『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2019年10月28日閲覧。
  7. ^ 『京都帝国大学一覧 自大正8年 至大正9年』卒業生姓名 文学士 史学科434頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月25日閲覧。
  8. ^ 高井悌三郎「収蔵考古資料についての覚書」『考古資料図録』、財団法人辰馬考古資料館、1988、p.153
  9. ^ a b c d e f g h i j k l 『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』267、405、426 - 427、460、620、722頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月18日閲覧。
  10. ^ a b 尾崎耕司「歴史にみる西宮・阪神 ―近代黎明期をめぐって―」『平成23年度大手前大学公開講座講義録「歴史と文化の旅」』、大手前大学、55-78頁、2012年https://otemae.repo.nii.ac.jp/records/216 
  11. ^ 『兵庫県における貴族院議員の互選』22頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年2月19日閲覧。

参考文献

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  • 京都帝国大学編『京都帝国大学一覧 自大正8年 至大正9年』京都帝国大学、1913 - 1926年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 織田正誠編『貴族院多額納税者名鑑』太洋堂出版部、1926年。
  • 交詢社編『日本紳士録 第37版附録 多額納税者名簿』交詢社、1933年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 下』人事興信所、1940年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下』人事興信所、1941年。
  • 藤田義相編『兵庫県における貴族院議員の互選』武庫史纂会、1966年。
  • 総理府賞勲局編『紺綬褒章名鑑 賞勲局百年資料集 大正8年〜昭和16年』大蔵省印刷局、1986年。