趙栩
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趙 栩(ちょう く、1106年 - ?)は、北宋の徽宗の第7皇子(夭逝を除くと第5皇子)。
経歴
[編集]美人喬氏(後に貴妃を授された)の次男として生まれた。同母兄に趙杞、同母弟に趙材・趙朴・趙樾がいる。
崇寧5年(1106年)2月に生まれ、大観元年(1107年)に魯国公の位を授けられた。大観2年(1108年)正月、安康郡王の位を改授された。宣和2年(1120年)に済王を再授された。
靖康の変の際、欽宗の使節として3度金の軍営へ行き、講和を求めた。講和が沙汰やみとなった後、金に連行された。『三朝北盟会編』(1162年完成)によると、同書の頃まで趙栩は金で健在であった。
家族
[編集]いずれも金に連行された。
伝記資料
[編集]- 『宋史』
- 『靖康稗史箋證』
- 『宋会要輯稿』
- 『三朝北盟会編』