喬貴妃
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貴妃喬氏(きひ きょうし、1086年 - ?)は、北宋の徽宗の貴妃。
生涯
[編集]初め顕粛皇后鄭氏の侍女を務めた。崇寧2年(1103年)5月、宜春郡君の位を授けられた。後、美人、婕妤となり、嬪に進み、貴妃にいたった。徽宗の寵愛を受けて、多くの男子を産んだ。
喬氏は仏教を信仰し、千仏会を設立した。韋氏(顕仁皇后)とは姉妹の契りを結び、喬貴妃の薦めで韋氏も平昌郡君を授けられた。閩(福建)の有名な尼僧の真如(王氏)は、初め喬貴妃の侍女を務め、その後に夫人(婕妤、美人、貴人、才人などより低い位)を授けられた。
靖康の変後、金に連行された。紹興12年(1142年)、韋妃が帰国するとき、酒を酌み交わし、涙を流して別れを惜しんだ。長寿を保ったと伝わっている。
子女
[編集]伝記資料
[編集]- 『靖康稗史箋證』
- 『宋会要輯稿』
- 『慈受深和尚広録』