賢島
賢島 | |
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賢島の空中写真。2015年10月29日撮影。 島の中央を占めるのが近鉄志摩線賢島駅。 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成 | |
所在地 | 日本(三重県志摩市阿児町神明) |
所在海域 | 英虞湾 |
所属諸島 | 志摩諸島 |
座標 | 北緯34度18分30秒 東経136度49分7秒 / 北緯34.30833度 東経136.81861度 |
面積 | 0.6814 km² |
海岸線長 | 7.3 km |
プロジェクト 地形 |
賢島(かしこじま)は、三重県志摩市の英虞湾内にある有人島。奥志摩観光の拠点である。2016年(平成28年)1月末現在の人口は98人[1]。
概要
[編集]英虞湾に浮かぶ島で最大の面積があり、本州との間は10m未満である。近鉄志摩線が本州から島内に入り込み、島中央部に終点賢島駅がある。
島内には志摩観光ホテル・賢島宝生苑などのレジャー施設、賢島港などがある[2]。このほか、大手企業の保養施設も島内には点在している。
津波の想定
[編集]賢島の海岸線沿い全域と賢島駅南口の観光商業地一帯は、津波浸水想定区域に含まれており、ハザードマップでは津波襲来時の避難目標地点(一時集合場所)として、賢島駅北口から志摩マリンランドへ向かう道路と三重県道17号浜島阿児線の交差点付近(標高18 m)、賢島スポーツガーデン(標高14 m)を指定している[2]。
島名の由来
[編集]江戸時代の指出帳には「かしこ山」とある[4]。当時の農民が干潮の時、本州から徒歩(古語では「かち」と言った)で島に渡れたため「かちこえ島」と呼ばれたものが、訛って「かしこ山」→「かしこ島」となったとされる[4]。
現在の漢字表記「賢島」に改められたのは、鉄道開通の時である[5]。「かしこ島」というかな書きでは関係者が困るという理由から漢字が充てられたのであった[6]。
歴史
[編集]賢島に人が住み始めたのは讃岐岩製の石鏃(せきぞく、矢じり)が発見されたことから、縄文時代と考えられている[3]。島内からは、古代の製塩跡も発見されている[3]。
しかし、後に無人島となり、1929年(昭和4年)に志摩電気鉄道(現在の近鉄志摩線)が開通するまで、島内は松林と水田が見られる程度だった[4]。島内には主に旅客を扱う賢島駅と貨物専用駅の真珠港駅がおかれた[7]。鉄道開通と共に開発が行われたが、当時は宿が1軒と商店が数軒だけという状態だった[8]。鉄道開通により、賢島は真珠養殖資材の発散基地としての性格を持った[8]。
1946年(昭和21年)の伊勢志摩国立公園指定[9]、1951年(昭和26年)の志摩観光ホテルの開業を期に、近鉄による資本を中心として観光地化が進んだ[8]。特に1964年(昭和39年)6月、近鉄は社内に「伊勢志摩開発委員会」を設置し「伊勢志摩総合開発計画」を策定、鳥羽地区と志摩地区での開発を企画し、特に志摩を重視した[10]。そして1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)に合わせて名古屋・大阪方面から志摩線へ近鉄特急の直通運転を実施することとなり、志摩線の軌間を1067mmから1435mmに改めることにした[11]。その影響で1969年(昭和44年)に真珠港駅が廃止となった[12]。一方、地元では密殖による病気の発生、水質汚染、世界的な真珠価格の暴落を背景に基幹産業であった真珠養殖業の斜陽化が見られ、島民の中には観光業に転じる者が出現した[13]。さらに1968年(昭和48年)には志摩用水の整備で水不足問題が解消され、観光地発展の素地が整った[8]。こうして近鉄系列の宿泊施設や志摩マリンランド、住民らが経営する旅館・民宿の立ち並ぶ観光地・賢島が形成された[8]。
1987年(昭和62年)には『男はつらいよ 寅次郎物語』のロケ地に選ばれ、多くのファンが賢島を訪れた[14]。現在では志摩地域の観光拠点として定着し、年間1260万人(『1992離島統計年報』による)の観光客が訪れている[3]。
2015年(平成27年)6月5日、2016先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の会場になる事が決定した[15][16][17]。これを受け、賢島駅前に臨時警備派出所が2016年(平成28年)2月16日に設置された[18][19]。同年5月21日から5月28日まで入島規制が敷かれ、IDカードと車両証を持つ関係者以外は入島できなくなった[20][21]。サミットからちょうど1年となる2017年(平成29年)5月26日には伊勢志摩サミット記念館「サミエール」が賢島駅2階に開館した[22][23]。
賢島港
[編集]賢島港(かしこじまこう)は、三重県志摩市阿児町神明賢島にある地方港湾。志摩電気鉄道(現・近鉄志摩線)の開業に合わせて1929年(昭和4年)に個人が私財を投げ打って開港した[24]。1953年(昭和28年)9月22日に地方港湾指定[24]。港湾は賢島周辺の横山島・多徳島を含む海域200haで円形をしている[24]。現在は定期船や観光船の就航する志摩市の海の玄関口である。
浜島港及び賢島港の2港一帯は2017年(平成29年)6月にみなとオアシスに登録していて、浜島港側の海ほおずきを代表施設とするみなとオアシス志摩として交流・観光拠点ともなっている。
港湾統計
[編集]- 入港船数・貨物量[24]
統計年次 | 船舶数〔隻〕 | 総トン数〔t〕 | 移入量〔t〕 |
2003年(平成15年) | 8,238 | 508,578 | 56 |
2005年(平成17年) | 7,949 | 495,314 | 27 |
2007年(平成19年) | 8,026 | 508,381 | 19 |
輸出入および移出は各年次とも0t、移入物は全量農水産品[24]。
航路
[編集]志摩マリンレジャーにより以下の航路が運航されている。また、賢島遊覧船組合による賢島 - ともやま間の遊覧船もある[25]。
- 賢島 - 御座 - 浜島(2021年9月30日をもって廃止予定)[26]
- 所要時間:賢島 - 御座25分、御座 - 浜島基地10分[27]。
- 賢島 - 間崎島 - 和具
- 所要時間:賢島 - 間崎島15分、間崎島 - 和具10分[27]。
- 賢島エスパーニャクルーズ(あご湾遊覧観光船)
- 所要時間:一周約50分[27]。
賢島対岸
[編集]賢島の対岸にある阿児町神明地区(特に三重県道17号浜島阿児線沿線)も一般に賢島と呼ばれる。企業の保養所や別荘が数多くあり、ゴルフ場・近鉄賢島カンツリークラブも整備されている。賢島対岸の別荘地は1960年代の近鉄による「伊勢志摩総合開発計画」に基づいて63ha300区画が整備され、1969年(昭和44年)9月のゴルフ場開業と同時にゴルフ会員権付きで分譲された[28]。1970年(昭和45年)には賢島スポーツランドを別荘地内に、志摩マリンランドを賢島島内に開業し、別荘地と賢島を結ぶ賢島大橋も近鉄資本で建設した[28]。企業の保養所は1995年(平成7年)時点では97軒存在した[29]が、2009年(平成19年)には実質稼働している保養所は20 - 30軒程度まで減少し、一部は素泊まりの宿泊施設に転用されている[30]。
施設
[編集]-
賢島大橋
写真左側が賢島、右側が本州。 -
志摩観光ホテルCLASSIC
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賢島宝生苑
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金毘羅宮
島内唯一の神社である。 -
志摩マリンランド(2021年より休園中)
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賢島スポーツガーデン
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小さな蔵の賢島美術館・松井眞珠店
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阿児賢島郵便局
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賢島駅(北口)
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円山公園「真珠貝供養塔」
脚注
[編集]- ^ “開催地について 伊勢志摩サミット開催地である賢島(かしこじま)とは”. 伊勢志摩サミット 三重県民会議. 2016年12月1日閲覧。
- ^ a b “賢島津波防災地図”. 志摩市総務部地域防災室 (2018年3月). 2019年11月27日閲覧。
- ^ a b c d 菅田(1995):57ページ
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編(1984):315ページ
- ^ 伊勢・志摩の歴史刊行会 編(1992):86ページ
- ^ 阿児町 編(1977):147ページ
- ^ 小寺美保子「ひとえきがたり 賢島駅(三重県、近鉄志摩線)志摩の玄関口、サミットに期待」朝日新聞2015年9月18日付夕刊、be火曜5ページ
- ^ a b c d e 阿児町 編(1977):149ページ
- ^ 阿児町史編纂委員会 編(2000):302ページ
- ^ 近畿日本鉄道株式会社(2010):316ページ
- ^ 浅野(1997):104ページ
- ^ 浅野(1997):104 - 105ページ
- ^ 野田(1997):175ページ
- ^ "観光特需よ再び、願う賢島 渋滞・テロ警戒の声も 小説「華麗なる一族」の舞台 会場予定のホテル"朝日新聞2015年6月7日付朝刊、2社会32ページ
- ^ “来年 三重県で開催「伊勢志摩サミット」”. NHKニュース. NHK (2015年6月5日). 2015年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月7日閲覧。
- ^ “伊勢志摩サミット:警備優位性が決め手…当初から最有力”. 毎日新聞 (2015年6月5日). 2015年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月7日閲覧。
- ^ “2016年は「伊勢志摩サミット」に 首相表明”. 日本経済新聞 (2015年6月5日). 2015年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年6月7日閲覧。
- ^ “伊勢志摩サミットまで100日 賢島駅前に臨時警備派出所”. 日本経済新聞 (2016年2月17日). 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月22日閲覧。
- ^ “伊勢志摩サミット100日前 賢島のサクラ、「待てずに咲いちゃいました」”. 伊勢志摩経済新聞 (2016年2月16日). 2016年2月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月22日閲覧。
- ^ 「賢島の規制開始5月21日で調整」中日新聞2016年3月29日付朝刊、10版1ページ
- ^ 近鉄は乗客を鵜方駅で降ろした上で賢島駅まで運行している
- ^ "サミットから1年 「伊勢志摩」記念館 近鉄賢島駅に開設"中日新聞2017年5月27日付朝刊、社会面32ページ
- ^ 「志摩にサミット記念館開館」日本経済新聞2017年5月27日付朝刊、名古屋版社会面21ページ
- ^ a b c d e 三重県港湾・海岸室『賢島港』(2010年3月6日閲覧)
- ^ 志摩市産業振興部観光戦略室ともやま公園事務所(2011):4ページ
- ^ 『浜島〜御座〜賢島定期航路(浜島航路)の廃止について』(PDF)(プレスリリース)志摩マリンレジャー、2021年3月26日。オリジナルの2021年3月27日時点におけるアーカイブ 。2021年3月27日閲覧。
- ^ a b c 志摩マリンレジャー『時刻・料金』(2010年2月11日閲覧。)
- ^ a b 近畿日本鉄道株式会社(2010):317ページ
- ^ 「伊勢志摩の保養所銀座、不況に泣く 閉鎖で82カ所に」朝日新聞1999年6月15日付朝刊、名古屋版社会29ページ
- ^ 松永佳伸「保養所→素泊まりホテルに 伊勢志摩 1泊5000円 ゴルフ客に人気 地元 新たな活用、定着期待」朝日新聞2009年3月23日付朝刊、三重23ページ
参考文献
[編集]- 阿児町 編『阿児町史』阿児町企画環境課、1977年4月、723p. 全国書誌番号:77007104
- 阿児町史編纂委員会 編『新版 阿児町史』阿児町、平成12年3月15日、931p. 全国書誌番号:20055488
- 浅野明彦(1997)"近畿日本鉄道志摩線旧線【白木〜五知、志摩磯部〜志摩横山、賢島〜真珠港】"宮脇俊三 編『鉄道廃線跡を歩くⅣ』(JTBキャンブックス、JTB、1997年12月、223p. ISBN 4-533-02857-8):104-105.
- 伊勢・志摩の歴史刊行会編『図説伊勢・志摩の歴史 下巻』郷土出版社、1992年8月15日、ISBN 4-87670-028-1
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、昭和58年6月8日発行、1643p.
- 近畿日本鉄道株式会社 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 近畿日本鉄道、2010年12月、895p. 全国書誌番号:21906373
- 志摩市産業振興部観光戦略室ともやま公園事務所『〜ともやま公園ガイドブック〜 志摩市ともやま公園 ともやまDE遊ぼう!!』志摩市産業振興部観光戦略室ともやま公園事務所、2011年、13p.
- 菅田正昭『日本の島事典』財団法人日本離島振興センター監修、三交社、1995年6月25日、495p. ISBN 4-87919-554-5
- 野田哲広(1997)"三重県志摩地方における観光地域の形成―阿児町神明地区を事例として―"金沢大学文学部地理学報告.8:175-176.
関連項目
[編集]- 賢島駅
- 全日本実業団対抗駅伝競走大会(1985年まで賢島で開催)
- 島の一覧
- 第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)
- 鉄道が通る島