豊竹巴太夫
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豊竹 巴太夫(とよたけ ともえたゆう)は、義太夫節の太夫。
初代
[編集](明和6年(1769年) - 文政11年12月11日(1829年1月16日))
大坂の生まれ、初代豊竹麓太夫の女婿で門弟の竹本賀代太夫が巴太夫となった。1790年に初出座。1810年に堀江荒木芝居にて櫓下となった。
通称を「茶碗屋助三郎」、「太好庵」。
2代目
[編集](生年不詳 - 天保6年4月24日(1835年5月21日))
紀州の生まれ、初代巴太夫の門弟。一時江戸にて4代目豊竹若太夫を襲名。(代数としては認められていない)1823年に帰坂し1829年に2代目巴太夫を襲名。1830年に稲荷文楽芝居の櫓下で活躍。
3代目
[編集]丹波笹山の生まれ、初代巴太夫の門弟。1825年に豊竹勝太夫で初出座、綾太夫、6代目竹本咲太夫を経て1842年に3代目巴太夫を襲名。
一時名古屋や江戸茅場町の薬師寺芝居で櫓下を勤めたが、1853年には大坂清水町の文楽芝居の櫓下を勤めた。
通称を「善太郎」。
4代目
[編集]2代目巴太夫の門弟。1832年に豊竹い太夫で初出座、師の死後5代目竹本政太夫や5代目豊竹若太夫に師事し1840年に2代目豊竹富太夫、1853年に6代目若太夫、1863年以降座摩や御霊の櫓下、1868年に4代目巴太夫を襲名。
5代目
[編集]後の初代豊竹柳適太夫。
6代目
[編集](明治8年(1875年)4月7日 - 大正12年(1923年)5月21日)
父は6代目三笑亭可楽(本名、中村勘三郎)豊竹冨士太夫を経て1913年に6代目巴太夫(本名中村八十八)を襲名。
実弟は7代目鶴澤蟻鳳
墓所は豊島区西巣鴨の「善養寺 (豊島区)|善養寺」