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豊受大神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
豊受大神社

拝殿(中央)と別宮多賀神社(左)、土之神社(右)
所在地 京都府福知山市大江町天田内字東平178-2
位置 北緯35度24分09.2秒 東経135度09分05.0秒 / 北緯35.402556度 東経135.151389度 / 35.402556; 135.151389 (豊受大神社)
主祭神 豊受姫命
社格府社
創建 (伝)雄略天皇22年
本殿の様式 神明造茅葺
別名 元伊勢外宮
例祭 4月26日
主な神事 八朔祭(9月1日
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豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)は、京都府福知山市大江町天田内にある神社旧社格府社元伊勢伝承地の1つ。

概要

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豊受姫命は、雄略天皇の時に丹波国から遷宮して伊勢神宮外宮に祀られたとされる。当社はその元伊勢伝承地の1つで、豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮であるとの伝承から、「元伊勢外宮」とも称される。

市内大江地域には当社の他にも以下の元伊勢伝承の神社があり、総称して「元伊勢三社」と呼ばれている。

福知山市大江町の元伊勢三社
皇大神社 福知山市大江町内宮 皇大神宮(伊勢神宮内宮)の元宮伝承地
豊受大神社 福知山市大江町天田内 豊受大神宮(伊勢神宮外宮)の元宮伝承地
天岩戸神社 福知山市大江町佛性寺 皇大神社奥宮

祭神

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主祭神
相殿神

歴史

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延暦23年(804年)の『止由気宮儀式帳』に、雄略天皇天照坐皇太神の夢託を蒙り、御饌都神(みけつかみ)として等由気太神(豊受大神)を丹波国から伊勢に迎えたのが外宮であると記す。それに基づいて当神社は雄略天皇22年に伊勢へ遷座したその故地であるという(『丹後風土記』[1])。あるいは、元鎮座地は比沼麻奈為神社(現京丹後市峰山町久次に鎮座)であるが、雄略天皇22年に伊勢へ遷座する途中で当神社の地にしばらく鎮座し、その跡地に建立したものであるともいう(『加佐郡誌』[2])。また、それとは別に、用明天皇の第3皇子である麻呂子親王が当地のを退治するに際して、内宮(現皇大神社)とともに勧請したものであるとの異伝もある(宝暦11年(1761年)の『丹後州宮津府志』[3]))。

近世以前の沿革は不明であるが、江戸時代には明暦2年(1656年)に宮津藩主京極高国将軍家綱疱瘡平癒を祈願して社殿を造営し(社蔵棟札)、延宝5年(1677年)に同永井尚長が4642社領を寄せ、以後藩家は変わりながらも歴代藩主の社参や代参、寄進等の崇敬を受けたという[4]

昭和5年(1930年)府社に列し、戦後は神社本庁に参加している。

境内

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摂末社

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摂社(別宮)

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本殿周辺に鎮座する。

  • 多賀神社 - 拝殿左
  • 土之神社 - 拝殿右
  • 月読宮 - 本殿左後方
  • 風之宮 - 本殿右後方

末社

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  • 計37社
本殿を囲む形でコの字形に配置される。当神社には御師的な役割をはたす37軒の社家があり、37社の末社はそれぞれの社家が1社ずつ祀っていたという。
社殿の配置図.

現地情報

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所在地
交通アクセス

鉄道

周辺
  • 宮川 - 当社近くを流れる川。伊勢神宮(外宮)近くの宮川と同名

脚注

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  1. ^ 古風土記ではなく、近世の地誌。『丹後史料叢書』第2輯(永浜宇平他編輯、丹後史料叢書刊行会、昭和2年)に所収する(同叢書は昭和47年に名著出版から復刻されている)。
  2. ^ 大正14年刊、京都府教育会加佐郡部会編(昭和47年に名著出版から、同60年に臨川書店から復刻されている)。
  3. ^ 木下幸吉編『丹後郷土史料集』第2輯〔上〕(名著出版、昭和47年)に所収。
  4. ^ 『神道大辞典』昭和14年。
  5. ^ 白水社、昭和60年。

参考文献

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  • 神社本庁調査部編『神社名鑑』(神社本庁、昭和38年)
  • 谷川健一編『日本の神々-神社と聖地』第7巻山陰《新装復刊》(白水社、1985年ISBN 4-560-02217-8)
  • 宮地直一・佐伯有義監修『神道大辞典』(縮刷復刻版)(臨川書店、昭和44年ISBN 4-653-01347-0(初版は平凡社、昭和14年))

関連項目

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外部リンク

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