諸隈直樹
表示
| ||||
---|---|---|---|---|
基本情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
生年月日 | 1978年6月19日(46歳) | |||
出身地 | 佐賀県佐賀郡大和町 | |||
ラテン文字 | Naoki Morokuma | |||
身長 | 190cm | |||
体重 | 84kg | |||
選手情報 | ||||
愛称 | ナオキ | |||
ポジション | WS | |||
指高 | 242cm | |||
利き手 | 右 | |||
スパイク | 340cm | |||
ブロック | 320cm |
諸隈 直樹(もろくま なおき、1978年6月19日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。元バレーボール全日本男子監督代行。
来歴
[編集]1978年6月19日、佐賀県佐賀郡大和町出身。双子の兄である諸隈秀東(諸隈英人)も元バレーボール選手。第7回さわやか杯で佐賀県選抜として準優勝し、鎮西高等学校時代には春の高校バレー、インターハイなどで優勝を経験している。全日本ユースにも選出され、世界ユース選手権ではベストスコアラーを獲得した。
その後、法政大学(経営学部経営学科)を経て、富士フイルムプラネッツに入団。2002年、豊田合成トレフェルサに移籍。2000年から2005年まで全日本メンバーに登録されていた[1]。2008年に現役を引退した。同年株式会社キャリアスポーツを設立し、代表取締役に就任した。
2009年に植田辰哉率いる全日本のコーチに就任し、2011年バレーボールワールドカップ、2012年ロンドンオリンピックバレーボール世界最終予選に出場したチームを指導した。
2012年、ロンドンオリンピック出場権を逸した責任を取る形で植田が代表監督の辞任を申し出たことにより[2]、9月7日と9月9日にテヘラン( イラン)にて開催されたFIVBワールドリーグ2013予選(プレーオフ)にてバレーボールイラン男子代表と戦う全日本男子代表チームの監督代行を務めた[3]。2013年、全日本が新体制となりコーチを退任[4]。
2018年にデサントジャパン株式会社に入社[5]。用具開発に携わり石川祐希を担当している[6][7]。
所属チーム
[編集]- 鎮西高等学校
- 法政大学
- 富士フイルムプラネッツ(2001-2002年)
- 豊田合成トレフェルサ(2002-2008年)
指導歴
[編集]- 全日本男子バレーボールチーム
- アシスタントコーチ 2009年 - 2012年
- 監督代行 2012年
受賞歴
[編集]- 1996年 - 第45回黒鷲旗大会 若鷲賞(鎮西高校)
脚注
[編集]- ^ “インストラクター紹介”. キャリアスポーツ. 2013年10月19日閲覧。
- ^ バレー男子日本の植田監督が辞表 協会受理せず 共同通信 47News 2012年9月4日閲覧
- ^ FIVBワールドリーグ2013予選 全日本男子メンバー 日本バレーボール協会News 2012年9月4日付
- ^ “2013全日本男子チーム”. JVA. 2013年10月19日閲覧。
- ^ “JOC - アスリートのセカンドキャリア支援「アスナビNEXT」:キャリアデザインセミナー「スポーツメーカーの現状」を実施”. 日本オリンピック委員会(JOC). 2024年3月2日閲覧。
- ^ “ユウキサイド:石川祐希が愛用するバレー用具 開発担当者がたどった運命の道”. 毎日新聞. 2024年3月2日閲覧。
- ^ “ユウキサイド:繊細な感覚を持つ石川祐希 バレー界の「先輩」が誓った仕事の流儀”. 毎日新聞. 2024年3月2日閲覧。
外部リンク
[編集]- 日本バレーボールリーグ機構の旧サイトにおけるプロフィール - ウェイバックマシン(2016年3月4日アーカイブ分)
- 諸隈 直樹ブログ
- 株式会社キャリアスポーツ