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角家主

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

角 家主(つの の やかぬし、生没年不詳)は、奈良時代貴族朝臣官位従五位下諸陵頭

出自

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角(都努・都濃)臣氏は紀氏と同族で、紀角宿禰の子孫である小鹿火宿禰紀小弓の喪に服するため、新羅から帰国した際に、角国(周防国都濃郡)に留まったため、角臣の氏姓を授けられたという[1]。天武天皇13年(684年八色の姓の制定により、姓から朝臣姓に改姓している[2]。氏人に天武天皇13年(684年)同じく小使として新羅に派遣された都努牛飼がいる[3]

経歴

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元正朝末の養老7年(723年従五位下叙爵する。なおこの時に、のちに第18次遣新羅使になる土師豊麻呂も従五位上に昇叙されている。

聖武朝天平4年(732年)正月に家主は第19次の遣新羅使とされ、2月下旬に天皇に拝謁している[4]。この遣使の目的は神亀3年(726年)以来遣使を行っていない新羅に対して、入貢を促すものであったと想定される。ところが遣使任命の2日後に新羅使・金長孫らが来朝し[5]、5月には入京して聖武天皇に拝謁を行い、来朝するときは3年に1度にする旨をされている[6]。それでも遣新羅使の派遣は中止されなかったらしく、家主たちは新羅へ渡航し8月に帰国している[7]

天平5年(733年諸陵頭に任ぜられた。

官歴

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続日本紀』による。

脚注

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  1. ^ 『日本書紀』雄略天皇9年5月条
  2. ^ 『日本書紀』天武天皇13年11月1日条
  3. ^ 『日本書紀』天武天皇13年4月20日条
  4. ^ 『続日本紀』天平4年2月23日条
  5. ^ 『続日本紀』天平4年1月22日条
  6. ^ 『続日本紀』天平4年5月21日条
  7. ^ 『続日本紀』天平4年8月11日条

参考文献

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