西郷糸子
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生誕 |
天保14年(1843年)[注釈 1] 薩摩国 |
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死没 | 大正11年(1922年)6月11日[1][2] |
墓地 | 青山霊園 |
国籍 | 日本 |
別名 | 西郷糸、西郷イト、岩山絲 |
配偶者 |
海老原某 西郷隆盛(1865- ) |
子供 |
寅太郎・牛次郎・酉三 養子:菊次郎・菊草 |
親 | 岩山八郎太直温 |
西郷 糸子(さいごう いとこ、旧字体:西鄕 絲子、天保14年(1843年)[注釈 1] - 大正11年(1922年)6月11日)[1][2]は、薩摩藩士・陸軍大将であった西郷隆盛の妻。西郷糸、西郷イトとも。旧姓は岩山。
概要
[編集]薩摩藩家老座書役を勤めた岩山八郎太直温の二女として生まれる[4]。
元治2年(1865年)、西郷隆盛と結婚する。隆盛は3回目、糸子は再婚。
隆盛との間に寅太郎・午次郎・酉三の三子を産む。また、隆盛の奄美大島における島妻である愛加那(愛子)との子である菊次郎・菊草を引き取り養育した。
墓地は青山霊園。
人物
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エピソード
[編集]坂本龍馬の能力を有望視した西郷隆盛が龍馬を薩摩へ招いた際のこと、着た物を破けるまで着続ける癖が多く、困っていた龍馬に気付いた糸子は夫のお古の褌を探してお裾分けしたこと[5]や、自宅が雨漏りしてる時、隣室で休んでいた龍馬に糸子は「お客様が来られると面目が立ちません。雨漏りしないように屋根を修理してほしい」と雨漏りの原因である屋根の修理の手伝いをさせようという発言に対して、普段は優しい隆盛(吉之助)が珍しく憤怒して、糸子が叱られてしまい、隆盛の人格性にそれを見た龍馬自身が感心するエピソード[要出典]がある。
上野公園の西郷隆盛像除幕式で、像を見た糸子は、夫に似ていないと何回もつぶやき、同席していた義弟の従道を困惑させた[要出典]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 『平成新修旧華族家系大成』[3]によると天保9年(1838年)4月5日生まれとされ、その場合、享年84歳。
出典
[編集]- ^ a b 「死亡告知・西郷糸子夫人」『新聞集成大正編年史』大正11年度版 中1922 (2)、明治大正昭和新聞研究会、東京、1984年2月、434頁。
- ^ a b 『新聞集成大正編年史』1922 (2) 1984, p. 442, 「南洲未亡人糸子逝く」
- ^ 霞会館華族家系大成編輯委員会 (編纂) 編『平成新修旧華族家系大成』吉川弘文館 (発売)、霞会館、1996年。 NCID BN15217497。
- ^ “資料名:西郷イト”. かごしまデジタルミュージアム. 鹿児島市. 2015年8月26日閲覧。
- ^ 山村竜也・著の『世界一よくわかる坂本龍馬』ISBN 978-4-396-61621-2
登場作品
[編集]- 小説
- テレビドラマ