西郷村 (長崎県)
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さいごうむら 西郷村 | |
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廃止日 | 1956年9月25日 |
廃止理由 |
新設合併 大正村、西郷村 → 瑞穂村 |
現在の自治体 | 雲仙市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 南高来郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,887人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 南高来郡千々石町、吾妻村、大正村、神代村 |
西郷村役場 | |
所在地 | 長崎県南高来郡西郷村甲1111番地 |
座標 | 北緯32度51分55秒 東経130度14分23秒 / 北緯32.86536度 東経130.23961度座標: 北緯32度51分55秒 東経130度14分23秒 / 北緯32.86536度 東経130.23961度 |
ウィキプロジェクト |
西郷村(さいごうむら)は、長崎県の島原半島にあった村。南高来郡に属した。1956年(昭和31年)に北西隣[1]の大正村と合併し、瑞穂村となった。
現在の雲仙市瑞穂町の東部、西郷地区にあたる。
地理
[編集]島原半島の北部に位置する。
- 山:吾妻岳、大峯
- 河川:西郷川、伊古牟田川、杉峰川、竹下川
- 港湾:西郷港
沿革
[編集]中世の西郷村は大河西郷(おおかわさいごう)と称され、後に大河の文字が取れ単に西郷と呼ばれるようになったとされる[2]。また、後に西郷村と合併する事となる伊古村については、江戸時代は島原藩領と佐賀藩領との相給で、佐賀藩領分を「上伊古村[3]」、島原藩領分を「下伊古村[4]」と称した[5]。上伊古村と下伊古村は明治初期に統合され、伊古村となった。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、西郷村と伊古村が合併し南高来郡西郷村が発足。
- 1912年(大正元年)10月10日 - 当村域に島原鉄道線の西郷駅が開業。
- 1956年(昭和31年)9月25日 - 大正村と合併して瑞穂村が発足し、西郷村は自治体として消滅。
地名
[編集]名を行政区域とする。西郷村は1889年の町村制施行時に2村が合併し発足した自治体であるが、大字(西郷・伊古)は設置していない。
但し大正時代の長崎県公報によれば、名の名称に大字を冠した記載が見られる[6]。
なお、西郷村では名の名称を十干に置き換えて表記する。
- 大字西郷
- 甲 / 栗林名
- 乙 / 馬場名
- 丙 / 小賀口名[7]
- 丁 / 木場名
- 戊 / 杉峰名
- 己 / 古江名(ふるえ)
- 庚 / 船津名
- 大字伊古
- 辛 / 伊古名[8]
交通
[編集]鉄道
[編集]- (大正村) - 西郷駅 - (神代村)
名所・旧跡
[編集]- 杉峰城跡
- 尻無城跡
西郷村出身の著名人
[編集]- 原口要(鉄道技術者、都市計画技術者)
脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1956年9月20日
- ^ 角川日本地名大辞典42 長崎県「西郷」
- ^ 地内では「佐賀伊古」とも呼称。
- ^ 地内では「島原伊古」とも呼称。
- ^ 角川日本地名大辞典42 長崎県「伊古」
- ^ ※参考:長崎縣告示第六百五十號『森林開墾制限(南高来郡西郷村)〔2〕』長崎県公報 大正4年9月10日付
- ^ 「古賀口名」とも表記される。
- ^ 『角川日本地名大辞典』のうち「伊古村」の頁では、明治初期の伊古村域に存在した名として江端・馬場・前田の3名が記載されている。しかし『長崎県南高来郡町村要覧』のうち「西郷村」の頁ではこれらの名が見えず、代わりに伊古名が記載されている事から、1889年の合併までに統合されたものとみられる。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県南高来郡町村要覧.上編「西郷村」(1893年)国立国会図書館デジタルコレクション