西脇組
設立者 | 西脇和美 |
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本部 | 兵庫県神戸市西区玉津町上池313-16 |
首領 | 宮下和美 |
構成員数 (推定) | 約220名(2010年時点) |
上部団体 | 神戸山口組 |
西脇組(にしわきぐみ)は、神戸に本部を置く暴力団[1]。初代組長が山口組の最高幹部役職の一にあたる「顧問」を務めるなどした有力組織で、人員総数はおよそ220(2010年)[2]。指定暴力団山口組の二次団体であったが、2015年における山口組の分裂以後は神戸山口組の二次団体となっている。
来歴
[編集]1973年に田岡一雄率いる三代目山口組の直系組織(二次団体)となった[3]。
歴代
[編集]初代:西脇一美
[編集]1935年3月17日生[4]。三代目山口組の重鎮と言われた北山悟率いる北山組で舎弟頭として組織の中枢を担ったのち、1973年12月に田岡組長から親子盃を受け38歳の若さで直参に昇格[3]。1979年に宅見組組長宅見勝とともに「本部長補佐」の役に抜擢され、さらに1982年には山口組本部の“金庫番”とも言われる会計係に任ぜられ、最高幹部の有力候補と目されるに至る[3]。五代目体制が発足すると舎弟頭補佐として執行部入り[3]。山口組神戸ブロックの長を務めたほか、兵庫県下の暴力団組織の親睦団体「阪神懇親会」に長年にわたり山口組の代表として出席[3]。六代目体制下では顧問の役にあったものの、病気療養を理由に2008年をもって引退した[3]。
二代目:宮下和美
[編集]1947年10月15日生[5]。地元明石郡玉津町の学校を卒業後、親族の経営する塗装会社に勤める傍ら、中村憲逸率いる山口組系中村組の構成員との交流を深め、やがて西脇組の幹部と縁を持ったことから1971年頃に西脇組へ加入[5]。1977年に若頭補佐の役に就任し、1993年には自身の率いる「宮下組」を傘下に結成[5]。2006年からは若頭に就任していたものの、2008年における西脇初代の引退に伴い組織を継承した[5]。2012年には、大阪・秋良連合会の会長、神戸・岸本組の組長、大阪・松山組の組長、ならびに静岡・藤友会の会長とともに、暴力団組員たることを隠してゴルフ場を利用したとする詐欺容疑から大阪府警に逮捕されている[6]。
二代目組織
[編集]- 組長 – 宮下和美(六代目山口組若中・組織委員)
- 執行部
- 幹部
情勢
[編集]本部の所在地は神戸市西区[7]の玉津町上池[8]。構成員の総数は、2002年の時点でおよそ300(兵庫県警)[9]、2010年の時点でおよそ220と報告されている[2]。かつて本拠地の神戸市西区内にて、傘下組織の組長らが神戸商船大学大学院の学生を拉致したうえで殺害するという事件(→神戸大学院生リンチ殺人事件,2002年)を起こしたことから、警察当局の集中的な取り締まり対象とされた時期があった[2]。
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ 『六代目山口組完全データBOOK 2008年版』 : “六代目山口組直系若衆>兵庫若中” (p.3) 2009年 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
- ^ a b c 『出資法違反容疑で山口組系幹部ら逮捕 大阪府警』 2010年2月4日 産経新聞
- ^ a b c d e f 『六代目山口組完全データBOOK 2008年版』 : “2008年 引退した男たちの肖像>【西脇組】西脇和美組長” (p.153-154) 2009年 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
- ^ 『山口組ドキュメント 五代目山口組』 : “五代目山口組本家組織図” (付録) 溝口敦 1990年 三一書房 ISBN 4-380-90223-4
- ^ a b c d 『六代目山口組完全データBOOK 2008年版』 : “2008年昇格 新直参 精鋭12人>二代目西脇組 宮下和美組長(神戸)” (p.163) 2009年 メディアックス ISBN 978-4-86201-358-3
- ^ 『山口組直参5人を詐欺容疑で逮捕、組員禁止のゴルフ場でプレー 大阪府警』 2012年7月10日 MSN産経ニュース
- ^ 『【衝撃事件の核心】山口組直参6人逮捕 それでもゴルフをしたら摘発する警察の「論理」(2/5ページ)』 2012年7月29日 MSN産経ニュース
- ^ 暴力団事務所の所在地と画像 - 西脇組(山口組)
- ^ 『県警が西脇組集中取締本部 院生殺害事件受け』 2002年4月15日 神戸新聞