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池田組

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
池田組
設立昭和40年代
設立者池田孝志(本名:金 孝志)[1]
本部〒700-0825
日本の旗 岡山県岡山市北区田町2丁目12-2
首領池田孝志(本名:金 孝志)
構成員数
(推定)
約160人(2023年末時点)[1]
┗構成員/約60人
┗準構成員/約90人
友好組織絆會
二代目宅見組
神戸山口組
敵対組織 六代目山口組

池田組(いけだぐみ)は、岡山県岡山市北区に本部を置く独立系指定暴力団。元神戸山口組傘下組織。

概要

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結成当初から岡山県内を地盤に山口組の傘下組織として活動したが、2015年夏の山口組分裂以降は神戸山口組傘下で活動した。2024年現在は独立した指定暴力団として存続している[2]

資金獲得活動(所謂シノギ)において多種多様な事業に介入している事から高い経済力を有する組織であり[注 1][3]神戸山口組在籍時代には山健組宅見組と並び主要組織に位置付けられていた。六代目山口組からは神戸派の資金源として頻繁に襲撃のターゲットとされており、後述の様に組員が負傷・殺害される事件が多発している。

来歴

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結成〜山口組在籍時代

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昭和40年代、三代目山口組の二次団体である大石組内に、池田孝志が池田組を設立した。池田は大石組内で頭角を現し、1982年(昭和57年)には若頭に就任した。

1992年(平成4年)2月には、池田が五代目山口組の直参に昇格し、同時に池田組も山口組の二次団体に昇格した。経済力において優位にあった池田組は、山口組内でも有力組織として勢力を拡大してゆき、六代目体制発足後の2007年(平成19年)6月、池田が若頭補佐に就任する頃には、岡山県内に磐石の基盤を築いたといわれる。

移籍から独立迄

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2015年(平成27年)8月26日、池田の意向に従い、山健組宅見組等と共に六代目山口組を離脱した。翌日の8月27日、新団体・神戸山口組が結成されると、離脱した13団体と共に舎弟頭に就任した。なお、六代目山口組からは絶縁処分を受けた。

2016年(平成28年)5月31日、岡山市内で、若頭・髙木忠が射殺される。実行犯は、六代目山口組系三代目弘道会髙山組傘下組員であり[4]、事件後岡山県岡山南警察署に出頭している[注 2][5]

2020年(令和2年)5月30日、池田組本部事務所前で、若頭・前谷祐一郎が六代目山口組大同会幹部に銃撃され、重傷を負う事件が発生する[6]。これは暴力団の世界では厳禁とされる法要の際を狙った襲撃であり、六代目山口組の池田組及びに神戸山口組を他組織として認めない方針を明らかにするものであった。

2020年(令和2年)7月27日、池田が神戸山口組を脱退する意向を示し、翌日には正式に脱退[7]。更に池田名義の脱退挨拶書状が全国に送付されたことで、池田組が一本独鈷(独立組織)となったことが確定的となった。なお、8月7日には神戸山口組から除籍処分を受けている。

2020年(令和2年)9月10日、岡山県内で指定暴力団・絆會と、正式に親戚団体として締結した[注 3]

2021年(令和3年)11月11日、岡山県公安委員会は池田組を正式に指定暴力団に指定した。 同年12月21日、岡山地方裁判所は岡山市が求めた事務所(岡山市北区田町)の使用差し止めを仮処分申請を大筋で認め、組事務所の使用禁止を決定したと発表した[8]

2022年(令和4年)10月26日、岡山市北区の理髪店にて、組長・池田孝志が六代目山口組山健組傘下妹尾組若頭に刃物で襲撃される。また、その8時間後に岡山市北区にある池田組長の自宅付近で、池田組関係者の車両が銃撃される。同年12月8日、六代目山口組と共に岡山、兵庫、愛知、三重4県の公安委員会により特定抗争指定暴力団に指定された[9]

2023年末までに六代目山口組との対立抗争に起因するとみられる事件は、3都道府県で9件起こっている[1]

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし六代目山口組の経済力には遠く及ばないとする声もある[要出典]
  2. ^ その後、殺人及び銃刀法違反容疑で起訴され、2017年12月に無期懲役判決が確定している。
  3. ^ 旧称・任侠山口組。もとは神戸山口組に所属していた勢力であり、池田組との関わりは深いとされる。

出典

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関連項目

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  • 山健組 - 池田組同様、2020年夏に神戸山口組から脱退し、独立団体となった経歴を持つ。