西枇杷島町
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(西枇杷島から転送)
にしびわじまちょう 西枇杷島町 | |||||
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廃止日 | 2005年7月7日 | ||||
廃止理由 |
新設合併 西春日井郡西枇杷島町・清洲町・新川町 → 清須市 | ||||
現在の自治体 | 清須市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、東海地方 | ||||
都道府県 | 愛知県 | ||||
郡 | 西春日井郡 | ||||
市町村コード | 23341-2 | ||||
面積 | 3.36 km2 | ||||
総人口 |
16,178人 (2005年(平成17年)3月31日) | ||||
隣接自治体 | 名古屋市、新川町 | ||||
町の木 | クスノキ | ||||
町の花 | サツキ | ||||
西枇杷島町役場 | |||||
所在地 |
〒452-8503 愛知県西春日井郡西枇杷島町花咲町84番地 | ||||
座標 | 北緯35度12分12秒 東経136度51分56秒 / 北緯35.20336度 東経136.86558度座標: 北緯35度12分12秒 東経136度51分56秒 / 北緯35.20336度 東経136.86558度 | ||||
ウィキプロジェクト |
西枇杷島町(にしびわじまちょう)は、かつて愛知県西春日井郡にあった町。
2005年(平成17年)7月7日、清洲町および新川町と合併して清須市となった。
地理
[編集]河川
[編集]歴史
[編集]室町時代には小田井城があった。江戸時代には名古屋城と清洲城を結ぶ街道に、江戸の神田や大阪の天満と並んで日本三大市場とされる「下小田井の市」(枇杷島市場)があった。近世には長らく問屋街として栄えた。
1959年(昭和34年)には鉄筋コンクリート造としては日本初の歩道橋である西枇杷島町横断歩道橋が竣工した。1978年(昭和53年)にはカレーハウスCoCo壱番屋の1号店が開店した。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制施行により西春日井郡下小田井村・小場塚新田村の区域をもって成立。
- 2000年(平成12年) - 東海豪雨で被災。
- 2002年(平成14年)4月17日~9月26日 - 西春日井郡7町による「西春日井郡7町合併問題研究会」が設置され、7町による合併を検討。7月10日、西枇杷島町で名古屋市(西区に編入されることを前提)との法定協議会設置を求めた住民発議、名古屋市が議会付議せず不成立。
- 2003年(平成15年
- 2005年(平成17年)7月7日 - 西春日井郡清洲町・新川町と新設合併し清須市が発足。同日西枇杷島町廃止。
行政
[編集]- 町長:加藤静治
経済
[編集]企業
[編集]教育
[編集]中学校
[編集]小学校
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]道路
[編集]- 一般国道
- 主要地方道
- 愛知県道67号名古屋祖父江線(岐阜街道、鮎鮨街道)
- 一般県道
文化
[編集]祭礼
[編集]映画館
[編集]- 西枇劇場 - 映画館[1]。現存しない。
スポーツ
[編集]著名な出身者
[編集]脚注
[編集]- ^ 『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』日本図書センター、1999年1月1日。ISBN 4820526901。
参考文献
[編集]- 『尾張名所図会』 第二巻 枇杷嶋
外部リンク
[編集]- 西枇杷島町ホームページ(2005/06/07アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project