清須市立西枇杷島小学校
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清須市立西枇杷島小学校 | |
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北緯35度11分53.21秒 東経136度51分55.70秒 / 北緯35.1981139度 東経136.8654722度座標: 北緯35度11分53.21秒 東経136度51分55.70秒 / 北緯35.1981139度 東経136.8654722度 | |
過去の名称 | 西枇杷島町立西枇杷島小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 清須市 |
設立年月日 | 1906年 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B123210008489 |
所在地 | 〒452-0018 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
清須市立西枇杷島小学校(きよすしりつにしびわじましょうがっこう)は、愛知県清須市西枇杷島町にある公立小学校。
沿革
[編集]西枇杷島小学校は1906年(明治39年)を開校年としている。2006年(平成18年)に開校100周年を迎え、同年11月25日に西枇杷島小学校開校100周年記念式典を行った。1906年(明治39年)は西枇杷島尋常小学校に高等科を設置し、西枇杷島尋常高等小学校に改称した年である。
- 1874年(明治7年)3月 - 清成学校が開校。
- 1876年(明治9年)8月 - 二本松学校に改称する。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 下小田井村、小場塚新田村が合併し、西春日井郡西枇杷島町が発足。
- 1890年(明治23年)10月 - 二本松尋常小学校に改称する。
- 1906年(明治39年)12月 - 高等科を設置する。同時に西枇杷島尋常高等小学校に改称する。
- 1908年(明治41年)4月 - 下小田井尋常小学校を統合する。
- 1915年(大正4年)7月 - 現在地に校舎が完成し、移転する。
- 1935年(昭和10年)4月 - 青年学校を併設する。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 西枇杷島国民学校に改称する。
- 1944年(昭和19年)4月 - 清洲町、西枇杷島町、新川町、春日村の青年学校を統合し、四町村組合立西部青年学校となる。西部青年学校校舎は現在の清洲公園に新築する。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 西枇杷島町立西枇杷島小学校に改称する。
- 1952年(昭和27年) - 校舎(木造2階建)を新築する。
- 1953年(昭和28年) - 礼法堂(木造平屋建)が完成する。
- 1954年(昭和29年) - 校舎(特別教室・木造2階建)を増築する。
- 1958年(昭和33年) -
- 3月 - 新校舎(北館・鉄筋コンクリート造2階建)が完成する。
- 8月 - 北館を増築する。
- 1962年(昭和37年)4月7日 - 本館(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。
- 1968年(昭和43年)1月 - 北館を2階建から3階建に改築する。
- 1975年(昭和50年)4月 - 西枇杷島町立古城小学校を分離する。
- 1979年(昭和54年)10月 - 体育館が完成する。
- 1987年(昭和62年)3月 - 南館(鉄筋コンクリート造3階建)が完成する。
- 2005年(平成17年)7月7日 - 西春日井郡西枇杷島町、清洲町、新川町が合併し、清須市が発足。同時に清須市立西枇杷島小学校に改称する。
- 2006年(平成18年)11月25日 - 西枇杷島小学校開校100周年記念式典を行う。
学区
[編集]校区は下新、片町、十軒裏、橋詰、問屋、南問屋、押花、泉、砂入、下砂入、住吉、日の出1丁目、大黒、弁天、末広、恵比寿、二見、旭、芳野、小野田、川口、東六軒、西六軒、南六軒、大野、南松原、辰新田、西笹子原、東笹子原、北二ツ杁、南二ツ杁、宮前、小場塚、養和、五畝割、七畝割、替地、芝野新田、子新田、枇杷島駅前東1丁目、地領(一部)である。公立中学校に進学する場合の進学先は清須市立西枇杷島中学校[1]。
交通アクセス
[編集]周辺施設
[編集]参考文献
[編集]- 西枇杷島町史編纂委員会『西枇杷島町史 続編』西枇杷島町、1990年、pp. 279-297、pp. 313-315