西村つた江
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西村 つた江 | |
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別名 | 香川万知子 |
生誕 | 1931年12月15日(92歳) |
出身地 |
日本 東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)浅草田島町 |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 歌手 |
活動期間 | 1954年 - 1960年代 |
レーベル | キングレコード |
西村 つた江(にしむら つたえ、1931年12月15日 - )は、日本の歌手。
経歴
[編集]漫才師の父・砂川捨勝、三味線の名手である母・千代子の娘として生まれる。作曲家・大村能章に師事し、3000人の志望者の中から選ばれた3人の中の1人としてキングレコードに入社した。1954年に東映映画「追撃三十騎」(大友柳太朗、高千穂ひづる主演)の主題歌「恋の夜風」を歌いソロデビュー。このときのA面は、津村謙「鶴姫道中」であった。当時から西村の歌唱力は認められており、三橋美智也の「おんな船頭唄」は、当初西村が歌う予定だったという逸話も残っている。1956年の第7回NHK紅白歌合戦にも出場し、「横浜(ハマ)の谷間」を歌唱[1]。この時の歌声は現存している。
後に香川万知子に改名し、昭和40年代に芸能界を引退した。
プライベートでは1964年5月に結婚し、神田明神で挙式した。。
代表曲
[編集]- 流れ三味線 (1954.9)
- 酒場の灯り (1954.10)
- 熱き涙よ (1954.11)
- 海峡を越える女 (1955.3)
- 雨降る波止場 (1955.3)
- 妾の星よ (1955.4)
- 忘れましょう (1955.6)
- 恋にさらばを告げた今日 (1955.6)
- さようなら青い霧 (1955.7)
- 月はまんまる (1955.7)
- 港へ帰って来た女 (1955.9)
- トッテン節 (1955.10)
- 津軽の踊り子 (1955.10)
- 夜毎の涙 (1956.1)
- 横浜の谷間 (1956.3)
- せめてものブルース (1956.5)
- 巡航船の女 (1956.6)
- せめて御無事を (1956.10)
- わたしは泣かない (1957.1)
- 好いて見たとて海の人 (1957.2)
- 踊り子物語 (1957.3)
- 飯場の娘 (1957.4)
- ガーベラの花よ何故赤い (1957.8)
- 港の丘で泣く女 (1957.7)
- わたしのバカ (1957.10)
- 頬つく女 (1957.10)
- 絵島生島 (1957.11)
- たそがれのふるさと
NHK紅白歌合戦出場歴
[編集]年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 |
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1956年(昭和31年)/第7回 | 横浜の谷間 [1] | 山形英夫 |
脚注
[編集]- ^ a b “紅白歌合戦ヒストリー”. NHKオンライン. 2015年5月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 西村つた江さん -松戸よみうり