西園寺実遠
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時代 | 室町時代中期 - 後期 |
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生誕 | 永享6年(1434年) |
死没 | 明応4年11月25日(1495年12月11日) |
別名 | 号:後竹林院 |
官位 | 従一位、左大臣 |
主君 | 後花園天皇→後土御門天皇 |
氏族 | 西園寺家 |
父母 | 父:西園寺公名、母:広橋兼宣の娘 |
兄弟 | 実遠、公源、公承 |
子 | 公藤、洞院公連 |
西園寺 実遠(さいおんじ さねとお)は、室町時代中期から後期にかけての公卿・歌人。太政大臣・西園寺公名の子。官位は従一位・左大臣。
経歴
[編集]嘉吉2年(1442年)に叙爵。以降清華家当主として速いスピードで昇進し、左近衛中将・讃岐介をへて文安5年(1448年)には従三位となり公卿に列する。その後も権中納言・権大納言・右近衛大将などを経て、文正元年(1466年)に内大臣に任じられた。応仁元年(1467年)に従一位となり、内大臣を辞職。文明13年(1481年)に右大臣に任じられ、さらに文明15年(1483年)には左大臣に昇り、長享元年(1487年)まで務めた。
和歌や書をよくし、和歌集「新菟玖波知集」を著した。