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蝉吟(せんぎん、寛永19年(1642年) - 寛文6年4月25日(1666年5月28日))は、江戸時代の俳人。
伊賀国上野の城代付の侍大将、藤堂新七郎良勝(または良精)の三男で、諱を良忠という。通称は主計、宗正。松尾芭蕉は少年時代に良忠の扈従として出仕していた。良忠が松永貞徳や北村季吟について俳諧を嗜んでいた縁で芭蕉も俳諧を始めたという。
寛文6年(1666年)4月25日、25歳で死去した。芭蕉は良忠の遺骨を高野山におさめ、それよりして無常を観じて故郷を出奔し、一所不在の身で俳諧に専念するようになったという。墓所は伊賀市山渓禅寺。