藤田外次郎
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人物情報 | |
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生誕 |
1874年5月15日 日本、石川県 |
出身校 |
第四高等中学校 東京帝国大学 |
学問 | |
研究分野 |
数学 幾何学 |
研究機関 | 陸軍砲工学校 |
藤田 外次郎(ふじた がいじろう、1874年(明治7年)5月15日[1] - 没年不明)は日本の陸軍教授、教育者、数学者。
経歴
[編集]石川県の士族に生まれた[2]。1891年(明治25年)7月に予科を卒業し、9月に第四高等中学校の特待生を勝ち取った[3]。1894年、(明治28年)7月、第四高等学校第二部理科を卒業[2]。1898年(明治31年)7月に、東京帝国大学を卒業した[4]。8月12日、高等官八等を以て陸軍教授に就任し[5]、8月13日に砲工学校附属を命じられた[6][7]。師範学校の職員録にも記録がある[8]。8月19日、東京帝国大学大学院に入学し、帰納幾何学を専攻することになった[9]。学士会にも参加している[10]。1903年(明治36年)12月1日より陸軍教授に復職した[11]。1904年(明治37年)10月28日、歩兵少尉に任命された[12]。1906年から1908年の間に勲六等功五級を叙された[13]。また、1908年の明治大学校の校友会に名を連ねている[14]。1925年(大正14年)3月20日、本官退任を依願し[15]、3月24日に退官[16][17]。この時点では従四位だった[18]。日本女子大学の教授[19]や植柳小学校校長[20]、第一高等小学校訓導兼校長[21][22]、正則予備学校数学教師[23]も務めていた。
家庭
[編集]半田正身の妹の半田貞子と結婚し、二人の息子、三人の娘を持っていた[24][1]。兄には藤田茂太郎がいた[25]。
勲章等
[編集]- 1898年(明治31年)09月30日、正八位[26]。
- 1899年(明治32年)09月07日、高等官七等[27]。
- 1899年(明治32年)11月20日、従七位[28]。
- 1901年(明治34年)12月28日、高等官六等[29]。
- 1902年(明治35年)04月11日、正七位[30]。
- 1905年(明治38年)12月29日、高等官五等[31]。
- 1906年(明治39年)02月17日、従六位[32]。
- 1908年(明治41年)06月27日、高等官四等[13]。
- 1908年(明治41年)10月30日、正六位[33]。
- 1911年(明治44年)06月28日、勲五等瑞宝章[34]。
- 1913年(大正02年)11月21日、従五位[35]。
- 1918年(大正07年)06月29日、勲四等瑞宝章、高等官三等[36]。
- 1918年(大正07年)12月20日、正五位[37]。
- 1925年(大正14年)03月19日、高等官二等[38]。
著書
[編集]- 刈屋他人次郎 共著『初等微分積分学』金刺芳流堂、1902年。NDLJP:828980。
- 『商業数学 (商業叢書 ; 第9編)』博文館、1903年。NDLJP:803120。
- 『新撰数学講義』博文館、1904年。上;NDLJP:826285 下;NDLJP:826286。
- 『近世幾何学 (帝国百科全書 ; 第179編)』博文館、1908年。NDLJP:828609。
- 『立体解析幾何學』陸軍砲工學校、1910年11月。
- 『数學』陸軍砲工學校、1911年12月。
- 刈屋他人次郎 共著『數學公式集 : 普通科砲工兵用』陸軍砲工学校、1912年11月。
- 『数学公式 : 附・要項及ビ諸表』山海堂出版部、1919年。NDLJP:949077。
- 梶島二郎 共著『初等数学問題集平面幾何』山海堂出版部、1920年。NDLJP:986112。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 古林亀治郎『現代人名辞典』中央通信社、1912年。NDLJP:779591。
- ^ a b 『第四高等学校一覧 明治38-40年』第四高等学校、1912年、104頁。NDLJP:812923。
- ^ 『鳴応会報告書 第3』鳴応会、1892年、6,8,15頁。NDLJP:813374。
- ^ 『東京帝国大学一覧 明治33-34年』東京帝国大学、1912年、584頁。NDLJP:813177。
- ^ 『官報』 4537巻、大蔵省、1898年8月13日。NDLJP:2947826。
- ^ 『官報』 4538巻、大蔵省、1898年8月15日。NDLJP:2947827。
- ^ 『職員録 明治32年現在(甲)』779776、1899年、169頁。NDLJP:779776。
- ^ 『職員録 明治33年現在(乙)』印刷局、1900年、290頁。NDLJP:779779。
- ^ 『官報』 4542巻、大蔵省、1898年8月19日。NDLJP:2947831。
- ^ 『学士会会員氏名録 明治34年11月調』学士会事務所、1901年、178頁。NDLJP:994989。
- ^ 『官報』 6126巻、大蔵省、1903年12月2日。NDLJP:2949435。
- ^ 『官報』 6418巻、大蔵省、1904年11月19日。NDLJP:2949742。
- ^ a b 『官報』 7501巻、大蔵省、1908年6月29日。NDLJP:2950848。
- ^ 田島義方『明治大学校友会員名簿』明治大学校友会、1908年、89頁。NDLJP:901668。
- ^ 『官報』 3772巻、大蔵省、1925年3月23日。NDLJP:2955920。
- ^ 『官報』 3779巻、大蔵省、1925年3月31日。NDLJP:2955927。
- ^ “陸軍教授藤田外次郎官等陞叙ノ件”. ジャパンサーチ. 2024年10月6日閲覧。
- ^ 『官報』 3824巻、大蔵省、1925年5月25日。NDLJP:2955972。
- ^ 『日本女子大学校四十年史』日本女子大学校、1942年、301頁。NDLJP:1142385。
- ^ 『京都市職員録』京都市秘書課、1926年7月、122頁。NDLJP:1906284。
- ^ 『京都市学区大観』京都市学区調査会、1937年、170頁。NDLJP:1440637。
- ^ 『昭和大礼京都府記録』京都府、1929年、629頁。NDLJP:1190262。
- ^ 『中等教育諸学校職員録』中等教科書協会、1935年、58頁。NDLJP:1448058。
- ^ 『大衆人事録 昭和15年改訂13版』帝国秘密探偵社、1940年、660頁。NDLJP:1207382。
- ^ “半田正身 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2024年10月6日閲覧。
- ^ 『官報』 4578巻、大蔵省、1898年09月31日。NDLJP:2947867。
- ^ 『官報』 4857巻、大蔵省、1899年9月7日。NDLJP:2948147。
- ^ 『官報』 4918巻、大蔵省、1899年11月21日。NDLJP:2948208。
- ^ 『官報』 号外、大蔵省、1901年12月29日。NDLJP:2948850。
- ^ 『官報』 5628巻、大蔵省、1902年4月12日。NDLJP:2948931。
- ^ 『官報』 6752巻、大蔵省、1906年1月4日。NDLJP:2950090。
- ^ 『官報』 6790巻、大蔵省、1906年2月20日。NDLJP:2950129。
- ^ 『官報』 7606巻、大蔵省、1908年10月31日。NDLJP:2950953。
- ^ 『官報』 8405巻、大蔵省、1911年6月29日。NDLJP:2951762。
- ^ 『官報』 396巻、大蔵省、1913年11月22日。NDLJP:2952496。
- ^ 『官報』 1773巻、大蔵省、1918年7月1日。NDLJP:2953886。
- ^ 『官報』 1916巻、大蔵省、1918年12月21日。NDLJP:2954030。
- ^ 『官報』 3771巻、大蔵省、1925年3月20日。NDLJP:2955919。
- ^ 林鶴一『算術四則問題 第1 (数学叢書 ; 第11編)』大倉書店、1910年。NDLJP:826925。
- ^ “関口開と石川県加賀の数学”. 九州大学マス・フォア・インダストリ研究所. 2024年10月6日閲覧。
参考文献
[編集]- “陸軍教授藤田外次郎官等陞叙ノ件”. Japan search. 2024年10月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- 写真 - アーカイブ室新聞
- 上藤一郎「日本における確率論の濫觴(3) : 陸軍士官学校編『公算学』1888年の復刻とその書誌学的考証」『静岡大学経済研究』第14巻、第4号、2010年。doi:10.14945/00004846。