藤田一郎 (衆議院議員)
表示
藤田 一郎[1](ふじた いちろう[2]、旧姓・藪原[3]、前名・榮[3][4]、1914年(大正3年)1月4日[5] - 没年不明)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(広島県第一区選出)[2]。
人物
[編集]藪原武彦の息子[3]。1936年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業[6]。鉄道省に勤務する[3]。1946年4月、第22回衆議院議員総選挙に無所属で出馬し、衆議院議員に当選[1]。同年11月、藤田組(現フジタ)取締役副社長に就任[7]。
藤田組副社長、広島バス会長、藤栄工業、藤栄林業各社長などをつとめる[2]。1947年4月、第23回衆議院議員総選挙に日本社会党から出馬し、衆議院議員に当選[4]。社会革新党に所属[2]。1948年5月、竹中工務店に関する融資問題で衆議院不当財産取引調査特別委員会に証人喚問された[8]。
家族・親族
[編集]- 藤田家
- 養父・一郎(1886年 - 1949年、広島県多額納税者、土木建築請負業、広島藤田組社長)[3]
- 妻・スミエ(1918年 - ?、養父一郎の長女)[3]
- 長男[3]
- 二男・宙靖[3](法学者、東北大学名誉教授、最高裁判所裁判官、1940年 - )
- 親戚
- 養父一郎の弟・藤田定市(フジタ工業会長)
脚注
[編集]- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』千葉県475頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月13日閲覧。
- ^ a b c d 『議会制度七十年史 第11』431頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年10月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』広島34頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月13日閲覧。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第23回』広島県463頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月13日閲覧。
- ^ 衆議院『第九十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1946年、11頁。
- ^ 『東京帝国大学一覧 昭和11年度』卒業生姓名 法学部(法学士)法律学科522頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年9月13日閲覧。
- ^ 年表(株)藤田組『藤田組の五十年』、渋沢社史データベース公式サイト。2020年9月13日閲覧。
- ^ 第2回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第25号 昭和23年5月26日