コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤巻胤家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤巻 胤家
藤巻家紋(丸に結び雁金)
生誕 1854年1月28日
羽前国置賜郡米沢屋代町
(現: 山形県米沢市
死没 1901年12月1日(満47歳没)
千葉県佐倉市並木町
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1872 - 1901
最終階級 陸軍大尉
指揮 歩兵第18連隊中隊長
戦闘 西南戦争 日清戦争
テンプレートを表示

藤巻 胤家(ふじまき たねいえ、嘉永6年12月30日1854年1月28日) - 1901年明治34年)12月1日)は、明治時代陸軍軍人。官位は陸軍歩兵大尉従六位勲四等[1]山形県士族1894年明治27年)に分家後は千葉県士族)。

1877年(明治10年)の西南戦争に出征して戦功を挙げる[2]歩兵第18連隊中隊長等を歴任する。

1881年(明治14年)7月、養子縁組解消に伴い「石口」姓から「藤巻」姓へ復姓[3]

親族

[編集]

略歴

[編集]

人物像

[編集]

陸軍省大日記(西南戦役第二旅団戦闘履歴明治10年2月26日~11年8月6日)[9]によると 『歩兵第2連隊第1大隊第1中隊附 陸軍少尉石口胤家は今回戦役中4月9日より5月11日まで中隊長代理となり木留村にて戦役に服し7月10日六観音山迂回の節は一小隊を引率し、賊軍背後に進出して部下を配慮指揮して大いに奮戦する。7月28日野尻新村進撃の際は部下15名を率いて迂路を経て深舎を超えて賊塁に突入し接戦後、ついに此の塁を抜き、さらに進軍し本隊に合流し再び進軍し接戦したのち、抜刀賊を倒す。部下に命令を下し各自に銃2動を装備させて賊を倒す、この時疲労困憊しても勇気を振り絞って大いに奮進して遂に賊を敗走させる…』 などの史料が残されている。

脚注

[編集]
  1. ^ a b 件名:陸軍歩兵大尉正七位勲四等藤巻胤家特旨ヲ以テ位一級被進ノ件 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  2. ^ 件名:石口少尉 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  3. ^ 件名:中尉石口胤家復姓ノ件 - 国立公文書館 デジタルアーカイブ
  4. ^ 米沢温故会『上杉家御年譜 第24巻 御家中諸士略系譜』原書房、1988年
  5. ^ 件名:秋田県知事岡喜七郎外六十二名叙位ノ件○陸軍歩兵中佐菊野景衛外三名、海軍教授藤巻卯三郎、台湾総督府技師徳見常雄外十八名・・・ - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  6. ^ 件名:置賜県士教導団志願者名簿差出 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  7. ^ 標題:第215号 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  8. ^ 標題:明治9年 「大日記宣旨辞令進退諸達伺4月令 陸軍省第1局」(7の4) - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  9. ^ a b 標題:第1中隊附 少尉 石口胤家… - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  10. ^ 標題:7月30日 少尉試補 石口胤家他 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  11. ^ 簿冊標題:職員録・明治十一年三月・職員録(陸軍二)改 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  12. ^ 標題:第23号 5月12、13、14、15、17、18、19、20日 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  13. ^ 簿冊標題:職員録・明治十七年七月・職員録(陸軍省)改 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター
  14. ^ 簿冊標題:職員録・明治二十三年七月・陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 - 国立公文書館 アジア歴史資料センター

参考史料

[編集]