藤山朝章
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藤山 朝章 | |
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生誕 |
1894年2月10日 日本 鹿児島県 |
死没 | 1973年12月13日(79歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
藤山 朝章(ふじやま ともあき、1894年(明治27年)2月10日[1] - 1973年(昭和48年)12月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1894年(明治27年)に鹿児島県で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[3]。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍砲兵大佐進級と同時に山砲兵第36連隊長(北支那方面軍・第36師団)に着任し[2]、百団大戦の反撃戦、中原会戦などに参加した[1]。1941年(昭和16年)3月1日に西部軍砲兵隊司令部附となり[2]、7月25日に第5砲兵司令部高級部員(関東軍・第20軍)に転じた[2]。1942年(昭和17年)9月に陸軍野戦砲兵学校教導連隊長に就任し[2]、1944年(昭和19年)8月に陸軍野戦砲兵学校附を経て[2]、1945年(昭和20年)1月20日に支那派遣軍砲兵教育隊長に着任[2]。
同年3月1日に陸軍少将に進級[2]。5月1日に砲兵監部附を経て[1]、7月25日に第4砲兵司令官(第2総軍・第16方面軍・第40軍)に就任し[1]、鹿児島県川内で本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1][3]。終戦後は熊本師管区司令部附を経て、10月18日に鹿児島連隊区司令官に就任した[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。