コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤山朝章

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤山 朝章
生誕 1894年2月10日
日本の旗 日本 鹿児島県
死没 (1973-12-13) 1973年12月13日(79歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1915年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

藤山 朝章(ふじやま ともあき、1894年明治27年)2月10日[1] - 1973年昭和48年)12月13日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

[編集]

1894年(明治27年)に鹿児島県で生まれた[1]陸軍士官学校第27期卒業[3]1940年(昭和15年)3月9日陸軍砲兵大佐進級と同時に山砲兵第36連隊長(北支那方面軍第36師団)に着任し[2]百団大戦の反撃戦、中原会戦などに参加した[1]1941年(昭和16年)3月1日西部軍砲兵隊司令部附となり[2]7月25日に第5砲兵司令部高級部員(関東軍第20軍)に転じた[2]1942年(昭和17年)9月に陸軍野戦砲兵学校教導連隊長に就任し[2]1944年(昭和19年)8月に陸軍野戦砲兵学校附を経て[2]1945年(昭和20年)1月20日支那派遣軍砲兵教育隊長に着任[2]

同年3月1日に陸軍少将に進級[2]5月1日砲兵監部附を経て[1]7月25日に第4砲兵司令官(第2総軍第16方面軍第40軍)に就任し[1]鹿児島県川内本土決戦に備える中で終戦を迎えた[1][3]。終戦後は熊本師管区司令部附を経て、10月18日鹿児島連隊区司令官に就任した[4]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g 福川 2001, 639頁.
  2. ^ a b c d e f g h 外山 1981, 383頁.
  3. ^ a b 福川 2001, 640頁.
  4. ^ 第3号 昭和20年10月20日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120947900 
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」13頁。

参考文献

[編集]
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026