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藤堂高通

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
藤堂高通
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛永21年11月7日1644年12月6日
死没 元禄10年8月9日1697年9月23日
改名 学助(幼名)、高通
諡号 任口
戒名 勝光院松月竜吟大居士
墓所 三重県津市寿町の寒松院
官位 従五位下、佐渡
幕府 江戸幕府
伊勢国久居藩
氏族 藤堂氏
父母 父:藤堂高次
母:多羅尾光誠の娘・浄明院(於振)
兄弟 高久高通高睦高堅
正室:黒田長興の娘・彦子(清光院)
側室:橋本氏(智鏡院)
岩之助、学助、高敏、万助、清、栗、
養子:高堅
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藤堂 高通(とうどう たかみち)は、江戸時代前期から中期の大名伊勢久居藩の初代藩主。久居藩藤堂家初代。

生涯

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寛永21年(1644年11月7日、伊勢津藩主・藤堂高次の次男として津城で生まれる。藤堂高虎の孫にあたる。

万治2年(1659年)12月に従五位下、佐渡守に叙任する。寛文3年(1663年)、父から1万石500人扶持を与えられた。寛文9年(1669年)9月29日、兄の高久から伊勢11郡5万石を分与されて、津藩の支藩である久居藩を立藩し、その初代藩主・城主格となった。後に久居陣屋を築塁している。

藩政においての治績はあまり見られないが、歌道に優れていたため、北村季吟北村湖春親子や西山宗因らを招聘し、藩の文治発展に尽くした。著書に『久居八百五十韻』がある。

久居藩祖 藤堂高通
藤堂高通の墓(津市・寒松院)

元禄10年(1697年8月9日に死去。享年54。

明治12年(1879年)に御殿跡で建立された久居神社で祀られ、現在は久居八幡宮相殿神として祀られている。

系譜

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父母

正室

側室

  • 橋本氏(智鏡院)

子女

  • 藤堂岩之助
  • 藤堂学助
  • 藤堂高敏(三男)生母は橋本氏(側室)
  • 藤堂万助

子女


関連項目

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参考文献

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  • 梅原三千『藤影記』藤影会事務所、大正11年(1922)。