藤堂高矗
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 明和8年1月11日(1771年2月25日) |
死没 | 寛政2年9月2日(1790年10月9日) |
改名 | 柔次郎(幼名)、高矗、眉山・甘谷(法号) |
戒名 | 顕徳院殿体達性空大居士 |
官位 | 従五位下、佐渡守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 伊勢国久居藩主 |
氏族 | 藤堂氏 |
父母 |
父:藤堂高璞、 養父:藤堂高周、藤堂高衡 |
妻 | 正室:なし |
子 | 実子:なし、養子:高兌 |
藤堂 高矗(とうどう たかなお)は、伊勢久居藩の第11代藩主。久居藩藤堂家11代。久居陣屋の主。
生涯
[編集]明和8年(1771年)1月11日、本家の伊勢津藩の家臣・藤堂高璞(称真院)の子として生まれる(生年は明和2年(1765年)とも)。藤堂出雲家の第7代当主・藤堂高周の養子となり(高矗は藤堂出雲家の第6代当主・藤堂高文の孫である)、天明元年(1781年)に久居藩の第10代藩主・高衡が死去したためその家督を継いだ。
天明5年(1785年)12月18日に従五位下・佐渡守に叙位・任官する。藩政では凶作による藩財政難で倹約、経費節減に努めた。寛政2年(1790年)9月2日、久居で死去した。享年20。跡を津藩藤堂宗家から養子に迎えた高兌が継いだ。
系譜
[編集]父母
養子