藤原賀祜麿
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時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 不詳 |
別名 | 加祐麿[1] |
官位 | 従五位下、大宰少弐 |
主君 | 嵯峨天皇 |
氏族 | 藤原北家 |
父母 | 父:藤原雄依、母:大伴潔足の娘 |
藤原 賀祜麿(ふじわら の かこまろ)は、平安時代初期の貴族。名は加祐麿とも記される。藤原北家、従四位上・藤原雄依の子。官位は従五位下・大宰少弐。
経歴
[編集]嵯峨朝初頭の弘仁元年(810年)薬子の変終結後に従五位下に叙爵。翌弘仁2年(811年)2月に右京亮に任ぜられるが、5月になって武蔵介に任ぜられ地方官に転じる。のち武蔵介の官職に就いたまま、中務少輔・侍従といった京官を兼帯している。その後、時期は明らかでないが大宰少弐を務めた。
官歴
[編集]脚注のないものは『日本後紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 弘仁元年(810年) 11月22日:従五位下
- 弘仁2年(811年) 2月13日:右京亮。5月14日:武蔵介
- 弘仁5年(814年) 7月10日:兼中務少輔
- 弘仁6年(815年) 3月13日:兼侍従
- 時期不詳:大宰少弐[1]