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藤原人数

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 人数(ふじわら の ひとかず、生年不明 -大同4年8月5日809年9月17日))は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての女官藤原式家良継の娘で、藤原北家鷲取の妻。藤原藤嗣の母。朝臣官位従三位。兄弟に藤原宅美姉妹藤原乙牟漏藤原諸姉らがいる。

生涯

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淳仁朝天平宝字7年(763年)正月、藤原乙刀自今児らとともに、無位から従五位下に叙される[1]。その後、称徳朝では不遇であったが、光仁朝桓武朝では順調に昇叙を重ね、延暦4年(785年)正月、和気広虫因幡国造浄成女とともに従四位上に昇っている[2]。その後、後宮を退き、嵯峨朝大同4年(809年)8月、散事従三位で薨去[3]

官歴

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六国史』による

脚注

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  1. ^ 『続日本紀』巻第二十四、廃帝 淳仁天皇 天平宝字7年正月9日条
  2. ^ 『続日本紀』、巻第三十八、桓武天皇 今皇帝 延暦4年正月9日条
  3. ^ 『日本後紀』巻第十八、嵯峨天皇 大同4年8月5日条

参考文献

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