コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

藤原一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年大正11年)1月13日[1] - 2000年平成12年)7月18日[2])は、昭和から平成時代の通産官僚実業家通産事務次官電源開発社長、同顧問。

経歴

[編集]

岡山県岡山市出身[1]。藤原末作・貞子の長男として生まれる[1]。1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業し、翌1949年商工省総務局に入る[1]。同期に牧野隆守平松守彦、大永勇作(元中小企業信用保険公庫総裁)、大薗英夫(元日本自転車振興会理事長)らがいる。大臣秘書官事務取扱、貿易振興局輸出保険課長、大臣官房審議官、化学工業局化学第一課長、企業局外資課長、貿易振興局貿易振興課長、産業政策局総務課長、中小企業庁小規模企業部長、通産省大臣官房審議官、生活産業局長、官房長、通商政策局長を経て、1981年(昭和56年)6月、通産事務次官に就任した[1]

翌年の1982年(昭和57年)10月に退官し、1983年(昭和58年)6月、電源開発副総裁を経て、1986年(昭和61年)10月に同社長、1991年(平成3年)7月、同顧問に転じた[1]。この間、貿易保険機構や貿易保険審議会の会長[1]日本原子力産業会議常任理事などを務めた[2]。2000年(平成12年)7月18日、急性心不全のため東京都世田谷区奥沢の自宅で死去した[2]

栄典

[編集]
勲章等

親族

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 人事興信所 1995, ふ120頁.
  2. ^ a b c 訃報 藤原一郎氏が死去”. 原子力産業新聞 (2000年7月27日). 2021年12月2日閲覧。
  3. ^ 秦 2001, 572頁.
  4. ^ 司法界における佐賀県人の活躍”. 佐賀地方検察庁 (2016年2月23日). 2021年12月2日閲覧。
  5. ^ 役員異動(代表取締役の異動を含む)に関するお知らせ”. 千代田化工建設 (2021年3月31日). 2021年12月2日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所 編『人事興信録 第38版 上』人事興信所、1995年https://books.google.co.nz/books?id=PfFMAQAAIAAJ 
  • 秦郁彦 編『日本官僚制総合事典 : 1868-2000』東京大学出版会、2001年。ISBN 4130301217 
先代
野口一郎
通商産業省生活産業局長
1978年 - 1978年
次代
栗原昭平
先代
宮本四郎
通商産業大臣官房長
1978年 - 1979年
次代
杉山和男
先代
宮本四郎
通商産業省通商政策局長
1979年 - 1981年
次代
若杉和夫
先代
矢野俊比古
通商産業事務次官
1981年 - 1982年
次代
杉山和男
先代
門田正三
電源開発社長
初代:1986年 - 1991年
次代
杉山和男