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藤原 一郎(ふじわら いちろう、1922年(大正11年)1月13日 - 2000年(平成12年)7月18日[2])は、昭和から平成時代の通産官僚。実業家。通産事務次官。電源開発社長、同顧問。
岡山県岡山市出身。藤原末作・貞子の長男として生まれる。1948年(昭和23年)東京大学法学部政治学科を卒業し、翌1949年商工省総務局に入る。同期に牧野隆守、平松守彦、大永勇作(元中小企業信用保険公庫総裁)、大薗英夫(元日本自転車振興会理事長)らがいる。大臣秘書官事務取扱、貿易振興局輸出保険課長、大臣官房審議官、化学工業局化学第一課長、企業局外資課長、貿易振興局貿易振興課長、産業政策局総務課長、中小企業庁小規模企業部長、通産省大臣官房審議官、生活産業局長、官房長、通商政策局長を経て、1981年(昭和56年)6月、通産事務次官に就任した。
翌年の1982年(昭和57年)10月に退官し、1983年(昭和58年)6月、電源開発副総裁を経て、1986年(昭和61年)10月に同社長、1991年(平成3年)7月、同顧問に転じた。この間、貿易保険機構や貿易保険審議会の会長、日本原子力産業会議常任理事などを務めた[2]。2000年(平成12年)7月18日、急性心不全のため東京都世田谷区奥沢の自宅で死去した[2]。
- 勲章等