栗原昭平
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栗原昭平(くりはら しょうへい、1927年9月16日 - 1992年3月12日)は、日本の官僚、実業家。
来歴・人物
[編集]東京府出身。1950年東京大学法学部卒業、同年通商産業省入省[1]。同期に林義郎、水野上晃章(貿易局長 1978年6月-、広島文理科大卒)ら全部で6人であった。
日本銀行政策委員会委員経済企画庁代表(1977年6月 - 1978年6月)、生活産業局長(1978年6月20日 - 1979年8月29日)、機械情報産業局長(1979年8月29日 - 1981年6月26日)、1981年に通商産業審議官(1981年6月26日 - 1982年10月15日 通産大臣:安倍晋太郎・山中貞則)に。機械情報産業局長時代は、局次長の小長啓一らと共に対米乗用車輸出自主規制導入に取組み、1981年から国内自動車各社への輸出台数割り当てが実施された。
1984年からトヨタ自動車に入社し、1985年常務、1986年専務、1990年に副社長。1992年、64歳で逝去。
脚注
[編集]- ^ 栗原昭平, 斎藤和男:インタビュアー「夢を乗せ, 車は未来へ走る」『情報管理』第31巻第8号、国立研究開発法人 科学技術振興機構、1988年、661-671頁、doi:10.1241/johokanri.31.661、ISSN 0021-7298、NAID 130001857862、2020年8月25日閲覧。
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