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藤井兼誼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
藤井兼誼
ふじい かねよし
生年月日 1897年6月15日
出生地 日本の旗 日本 京都府京都市
没年月日 (1986-10-30) 1986年10月30日(89歳没)
出身校 京都帝国大学文学部卒業
前職 京都薬学専門学校教授
(現・京都薬科大学
所属政党 研究会
親族 父・藤井行徳(貴族院議員)

在任期間 1942年3月31日 - 1947年5月2日
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藤井 兼誼(ふじい かねよし、1897年明治30年)6月15日[1] - 1986年昭和61年)10月30日[1][2])は、日本政治家華族貴族院子爵議員

経歴

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京都市子爵藤井行徳の二男として生まれる[1][3]。父の隠居に伴い、1930年(昭和5年)10月15日、子爵を襲爵した[1][4]

1926年(大正15年)京都帝国大学文学部を卒業[2][3]。同年、私立京都薬学専門学校教授に就任[2]1937年(昭和12年)殿掌となり、大喪使祭官を務めた[2][3]

1942年(昭和17年)3月31日、補欠選挙で貴族院子爵議員に選出され[3][5]研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]

著作

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  • 『燭寸録 = Literarische Zeitschrift 巻3 (Faustの宗教觀)』藤井兼誼、1928年。
  • 編『燭寸録 巻5』藤井兼誼、1931年。

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『平成新修旧華族家系大成 下巻』443-445頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』53頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第14版 下』フ41-42頁。
  4. ^ 『官報』第1141号、昭和5年10月16日。
  5. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、51頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。


日本の爵位
先代
藤井行徳
子爵
藤井家第3代
1930年 - 1947年
次代
華族制度廃止