蒼涼院
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蒼涼院(そうりょういん、1668年(寛文8年) - 1706年(宝永3年5月21日))は、阿波徳島藩第5代藩主・蜂須賀綱矩の正室。父は奥津庸広。名前は園[1]。
奥津庸広の娘として生まれ、1703年(元禄16年4月19日)に徳島藩第5代藩主・蜂須賀綱矩の正室となる[2]。綱矩との間には正室になる前の1692年(元禄5年)に長男の蜂須賀綱矩を出産[2][3]。
1706年(宝永3年5月21日)、死去。享年39。戒名は蒼涼院南宝宗薫尼。墓所は東京都台東区松が谷の海禅寺[2]。
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