蒲察阿里虎
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蒲察 阿里虎(ほさつ ありこ、? - 1160年5月16日)は、金の廃帝海陵王の妃嬪。
経歴
[編集]初め、皇族の阿虎迭(蒲魯虎の子)の正妻であった。阿虎迭の死後、皇族の南家と再婚した。南家の死後、奉国上将軍の迪古乃(後の海陵王)は美貌の阿里虎を側室として求めたが、南家の父の突葛速は拒んだ。海陵王が帝位に即くと、阿里虎は婚礼により後宮に入って賢妃に封ぜられ、また昭妃に改められた。
阿里虎は頻繁に大酒を飲み、海陵王がたしなめても止めず、寵愛が衰えた。阿里虎と前夫の南家の息子は亡父の遺物を与えられていたので、海陵王は息子を死に追いやろうとしたが、徒単皇后らの懇願で中止した。阿里虎と前夫の阿虎迭の娘である重節も美しかったので、海陵王はこれも妃とした。阿里虎は激怒し、重節を強く平手打ちした。海陵王はその後、阿里虎をかえりみなかった。
阿里虎はその後、侍女の勝哥を寵愛して同性愛関係となった。侍女の三娘の密告にもかかわらず、海陵王は罰しようとしなかったが、三娘が阿里虎に殺されると、阿里虎は海陵王の怒りを買った。勝哥は死に追いやられ、阿里虎は絶望して食を絶った。
正隆5年4月2日(1160年5月16日)、海陵王は阿里虎を絞殺させた。
子女
[編集]- 蓬萊県主 完顔重節(阿虎迭との娘)
- 男子(南家との子)
伝記資料
[編集]- 『金史』