徒単皇后 (金海陵王)
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徒単皇后(とぜんこうごう、1120年 - 1170年)は、金の廃帝海陵王の皇后。
生涯
[編集]徒単斜也の娘。徒単氏は女真貴族の家系で、海陵王の嫡母(永寿宮皇太后)の他、のちに廃帝衛紹王や哀宗の皇后も出している。
諸侯王時代の迪古乃(のちの海陵王)の王妃となり、海陵王が即位すると、まず恵妃に封ぜられた。天徳2年(1150年)3月27日、次男の光英(のちの皇太子)を産んだ。同年9月、皇后に立てられた。寵愛は受けなかったが、太子の母として重んじられた。
海陵王が南宋に親征すると、太子の光英とともに留守を守った。世宗が即位して海陵王と太子光英が殺されると、徒単氏は王妃に降格され[1]、中都にうつって海陵王の生母大氏の旧宅に住んだ。その後、世宗は徒単氏をあわれんで上京の実家に帰し、歳幣(年金)2000貫を与えて養わせた。
子女
[編集]- 太子 光英
脚注
[編集]- ^ 夫が海陵郡王に落とされたことにともなう。迪古乃が「海陵王」と後世に呼ばれるのはこの時の王位による。
伝記資料
[編集]- 『金史』