コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

国津御祖神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
葦立弖神社から転送)
国津御祖神社・葦立弖神社
所在地 三重県伊勢市楠部町字尾崎2132
位置 北緯34度28分33.5秒 東経136度44分14.4秒 / 北緯34.475972度 東経136.737333度 / 34.475972; 136.737333 (国津御祖神社)座標: 北緯34度28分33.5秒 東経136度44分14.4秒 / 北緯34.475972度 東経136.737333度 / 34.475972; 136.737333 (国津御祖神社)
主祭神 国津御祖神社:宇治比賣命・田村比賣命
葦立弖神社:玉移良比女命
社格 国津御祖神社:式内社(小)、皇大神宮摂社
葦立弖神社:皇大神宮末社
本殿の様式 神明造
別名 国津御祖神社:御子社
主な神事 神嘗祭
地図
国津御祖神社・葦立弖神社の位置(三重県内)
国津御祖神社・葦立弖神社
国津御祖神社・葦立弖神社
テンプレートを表示

国津御祖神社(くにつみおやじんじゃ)は、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の摂社。本項目では、国津御祖神社と同座する、内宮末社の葦立弖神社(あしだてじんじゃ)についても記述する。

2社とも倭姫命の定めた神社である[1][2]

概要

[編集]

三重県伊勢市楠部町字尾崎2132[3]、五十鈴橋のそばに鎮座する大土御祖神社・宇治乃奴鬼神社参道を奥へ進んだところに鎮座する[4]

社地は「茶屋の森」と呼ばれる[5]。社地の面積は370.87(≒1,226m2[6]。『皇大神宮儀式帳』に「坐地大土神社之四至内」とあり、平安時代より大土御祖神社と同じ地に鎮座していたことが窺える[3]

2社は同座しており、社殿は1つである。神明造板葺の社殿はの方角を向いており、一重の玉垣に囲まれている[7]賽銭箱は置かれていない。『皇大神宮儀式帳』によれば、社殿は板葺ではなく萱葺であったという[7]

国津御祖神社

[編集]

国津御祖神社は、内宮の摂社27社のうち第11位である[8]

祭神は宇治比賣命(うじひめのみこと)・田村比賣命(たむらひめのみこと)[1][2]。2柱とも国生(くなり)の神の御子であり[2]産土神であるという[1]。田村比賣命を「村田比賣命」と記載する古書も多いが、誤記と見られる[3]

祭神が国生の神の御子であることから「御子社」の別名がある[9]。ほかに用例は少ないものの、「一本社」・「一元社」の異称もある[9]

葦立弖神社

[編集]

葦立弖神社は、内宮の末社16社のうち、第14位である[10]。社殿は中絶し、国津御祖神社に同座する[11]

祭神は玉移良比女命(たまやらひめのみこと)[1][2]。宇治都比女命(うじつひめのみこと)の子であるとされ、産土神であるという[1][2]。宇治都比女命は国津御祖神社の祭神・宇治比賣命と同じであると考えられている[12]

歴史

[編集]

伊勢神宮の摂社の定義より『延喜式神名帳』成立、すなわち延長5年(927年)以前に創建された[13]。『皇大神宮儀式帳』にも「国津御祖社」として記載がある[9]ことから延暦23年(804年)以前から存在した[13]ことになる。

中世以後、祭祀が断絶し、寛文3年12月22日グレゴリオ暦1664年1月20日)に遷御(せんぎょ)の儀を行い再興された[3]。大土御祖神社の旧社地を特定が容易であった[14]ため、同じ社地の国津御祖神社も労せず旧地に復興された[3]明治4年1871年)に葦立弖神社を国津御祖神社へ同座させる[12]

社殿は1914年(大正3年)に造り替えられた[15]。45年後の1959年(昭和34年)7月に建て替えられ、1982年(昭和57年)10月に大修繕が施された[7]

祭祀

[編集]

国津御祖神社で行われる祭祀は、大土御祖神社と同じである[7]。すなわち、巡回祭典の形で祈年祭(2月)、月次祭(6月・12月)、神嘗祭(10月)、新嘗祭(11月)の際は社殿の前で祭祀が行われ、歳旦祭(1月)、元始祭(1月)、建国記念祭(2月11日)、風日祈祭(5月・8月)、天長祭12月23日)は遥祀を催行する[16]

植物相

[編集]

大土御祖神社と同じ社地に鎮座するため、植物相も同じである[7]

1977年(昭和52年)に行われた境内立木調査によると、カヤノキ・マキ・スギ・ヒノキカシシイ・クスノキ・ヤブニッケイシロダモタブトベラモチノキヤブツバキを主要樹種とし、計258本あった[6]

交通

[編集]
国津御祖神社・葦立弖神社の入り口

国津御祖神社・葦立弖神社の東には神宮神田が広がる[1]。付近には伊勢市立四郷小学校、伊勢市役所四郷支所、櫲樟尾神社(くすおじんじゃ)がある。

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f 学研パブリッシング(2013):61ページ
  2. ^ a b c d e 伊勢文化舎(2008):107ページ
  3. ^ a b c d e 式内社研究会 編(1990):273ページ
  4. ^ 伊勢文化舎(2008):106 - 107ページ
  5. ^ a b 式内社研究会 編(1990):260ページ
  6. ^ a b 式内社研究会 編(1990):265ページ
  7. ^ a b c d e 式内社研究会 編(1990):275ページ
  8. ^ 宇治山田市役所 編(1929):9 - 11ページ
  9. ^ a b c d 式内社研究会 編(1990):272ページ
  10. ^ 宇治山田市役所 編(1929):13 - 14ページ
  11. ^ 宇治山田市役所 編(1929):14ページ
  12. ^ a b 式内社研究会 編(1990):274ページ
  13. ^ a b 伊勢文化舎(2008):22ページ
  14. ^ 式内社研究会 編(1990):262ページ
  15. ^ 宇治山田市役所 編(1929):10ページ
  16. ^ 式内社研究会 編(1990):263ページ

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]