多賀宮
多賀宮 | |
---|---|
所在地 | 三重県伊勢市豊川町279 |
位置 | 北緯34度29分7.4秒 東経136度42分13.8秒 / 北緯34.485389度 東経136.703833度座標: 北緯34度29分7.4秒 東経136度42分13.8秒 / 北緯34.485389度 東経136.703833度 |
主祭神 | 豊受大御神荒魂 |
社格等 |
式内社(大) 豊受大神宮別宮 |
創建 | 804年以前 |
本殿の様式 | 神明造 |
地図 |
多賀宮(たかのみや)は三重県伊勢市豊川町にある外宮(豊受大神宮)の境内別宮である[1][2]。 第62回神宮式年遷宮(2013年)では、別宮の中では荒祭宮に次いで10月13日に遷御が行われた[3]。
概要
[編集]多賀宮(たかのみや)は外宮正宮南方の檜尾山(ひのきおやま)にある[4]。別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。
外宮の別宮は多賀宮のほか、境内に土宮(つちのみや)と風宮(かぜのみや)、境外に月夜見宮(つきよみのみや)があるが(合計四所)[5]、多賀宮がもっとも古く、外宮の4別宮のうち、『止由気宮儀式帳』(804年)と『延喜式神名帳』に記載されているのは多賀宮のみである[6]。祭神が外宮の祭神の豊受大御神の荒魂である豊受大御神荒魂(とようけのおおみかみのあらみたま)であることから、4別宮の中で最高位とされる[1][2]。
正宮前の池の横の亀石を過ぎ[7]、土宮と風宮の間にある石段を98段登った丘の上に多賀宮がある[8]。亀石は高倉山の天岩戸の入り口の岩を運んだと伝えられている。多賀宮の前の参道には、寝地蔵さんと呼ばれる、地蔵菩薩のように見える石がある[9][10]。
足腰が悪く丘の上に登れない者のために、麓の池のほとりに多賀宮遥拝所が設けられている。
内宮の荒祭宮、外宮の多賀宮とも、神宮第一の別宮(荒魂)には双方とも鳥居がない[10]。詳しい理由は不明[10]。
祭神
[編集]- 『倭姫命世記』『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』では豊受大神荒魂の別名として、黄泉から戻ってきた伊弉諾尊の禊で誕生した伊吹戸主(祓戸大神)[13][14]、または伊吹戸主神の別名として神直毘神とする(禊祓と三貴子の誕生)[15][13][16]。
歴史
[編集]由緒は定かではないが、雄略天皇22年(478年)の外宮創祀と同時に創建されたと伝えられている[1][17]。 神宮ではおおむね高宮(たかのみや)と呼称されていたが[1][17]、明治以降は『延喜大神宮式』を基準としたため『高宮』の表記は廃止され、多賀宮のみの標記となった[2]。縁起のよい字を当て多賀宮(たかのみや)になったともいう。従って多賀大社(こちらは「たが」と濁って読む)やその祭神である伊邪那岐命・伊邪那美命とは関係がない。ただし豊受大神荒魂(多賀宮祭神)は伊弉諾命が禊祓した際に誕生した伊吹戸主の別名ともされる[15]。
多賀宮専用の忌火屋殿があったが、明治に廃止された[2]。第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)7月29日、宇治山田空襲により御階が燃えたものの、警備隊が体をこすりつけて消火し、社殿は無事であった[18]。
祭事
[編集]外宮正宮に準じた祭事が行なわれ、祈年祭、月次祭、神嘗祭、新嘗祭の諸祭には皇室からの幣帛(へいはく)がある[1]。皇室の勅使は正宮に続き、外宮の別宮のうち多賀宮のみに参行する。この待遇は、内宮の荒祭宮と同様である[19]。
社殿
[編集]多賀宮の社殿[20]は外宮に準じ外削ぎの千木と、5本で奇数の鰹木を持つ萱葺の神明造で南面している。遷宮のための古殿地(新御敷地)は東西に隣接している。
交通
[編集]- 最寄駅:JR参宮線・近鉄伊勢市駅から徒歩約12分。
- 最寄バス停:三重交通外宮前バス停下車徒歩約5分。
- 最寄インターチェンジ:伊勢自動車道伊勢西インターチェンジから約2km。
- 駐車場:無料駐車場がある。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 神道大辞典(平凡1939)二巻コマ246(原本422頁)
- ^ a b c d 伊勢神宮(学生社)75-77頁『多賀宮』
- ^ “内宮別宮で遷御の儀”. 読売新聞. (2013年10月11日). オリジナルの2013年10月15日時点におけるアーカイブ。 2013年10月15日閲覧。
- ^ 伊勢参宮案内コマ27(原本7頁)
- ^ カラーブックス伊勢神宮123頁『豊受大神別宮四所』
- ^ 筑摩、神宮の展開51-54頁『別宮の内実』
- ^ カラーブックス伊勢神宮55頁『亀石』
- ^ カラーブックス伊勢神宮67頁『別宮・多賀宮への石段』
- ^ カラーブックス伊勢神宮68頁『寝地蔵さん』
- ^ a b c 矢野、知られざる社53-54頁『荒御魂をまつる荒祭宮と多賀宮』
- ^ カラーブックス伊勢神宮69頁『別宮・多賀宮』
- ^ 神道大辞典(平凡1940)三巻コマ23(原本31頁)
- ^ a b 国史大系7巻コマ263(原本499頁)
- ^ 神道大辞典(平凡1937)一巻コマ90(原本147頁)
- ^ a b 神道大辞典(平凡1937)一巻コマ232(原本398頁)
- ^ 神道大辞典(平凡1937)一巻コマ142(原本239頁)
- ^ a b 皇大神宮史コマ170(原本242-243頁)
- ^ 矢野、知られざる社184頁
- ^ 伊勢年鑑(昭和17)コマ22(原本15頁)
- ^ 大神宮叢書(第3後篇)コマ359-360(原本664-666頁)『別院 多賀宮壹院』
参考資料
[編集]- 『お伊勢まいり』(発行:伊勢神宮崇敬会)
- 上田正昭ほか「別宮の祭祀」『神宮の展開 伊勢の大神』筑摩書房、1988年11月。ISBN 4-480-85469-X。
- 『宇治山田市史 上巻』(宇治山田市役所編、昭和4年発行、昭和63年復刻、国書刊行会発行)
- こほりくにを、日竎貞夫『伊勢神宮』保育社〈カラーブックス890〉、1996年8月。ISBN 4-586-50890-6。
- 神宮禰宜桜井勝之進「五 度会の神々」『伊勢神宮』学生社〈日本の神社〉、1988年5月。ISBN 4-311-40704-1。
- 矢野憲一『伊勢神宮 知られざる杜のうち』角川書店〈角川選書402〉、2006年11月。ISBN 4-04-703402-9。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 伊勢新聞社編『伊勢年鑑.昭和17年』伊勢新聞社、1941年10月 。
- 皇国敬神会 編「神宮(内宮、外宮)」『全国有名神社御写真帖』皇国敬神会、1922年12月 。
- 神宮司庁編『神宮便覧』中央公論社、1925年3月。
- 神宮司庁編『神宮便覧』中央公論社、1928年10月。
- 神宮司庁編『大神宮叢書. 第3 後篇』西濃印刷岐阜支店、1936年11月 。
- 中村徳五郎「第三節 相殿及び別宮」『皇大神宮史』弘道閣、1921年7月 。
- 経済雑誌社編「倭姫命世紀」『国史大系.第7巻』経済雑誌社、1898年8月 。
- 日本旅行協會編纂『伊勢参宮案内』日本旅行協会、1930年2月 。
- 広池千九郎「第二十章 別宮并に摂社及び末社」『伊勢神宮と我国体』日月社、1915年9月 。
- 平凡社 編『神道大辞典 第一巻』平凡社、1937年7月 。
- 平凡社 編『神道大辞典 第二巻』平凡社、1939年6月 。
- 平凡社 編『神道大辞典 第三巻』平凡社、1940年9月 。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 多賀宮(たかのみや) - 伊勢神宮
- 多賀宮(たかのみや) - 一般財団法人伊勢神宮崇敬会