萱瀬村
表示
かやぜむら 萱瀬村 | |
---|---|
廃止日 | 1942年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併・市制施行 大村町、福重村、萱瀬村、松原村、鈴田村、三浦村 → 大村市 |
現在の自治体 | 大村市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 東彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
2,502人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 |
諫早市、東彼杵郡大村町、福重村、千綿村、北高来郡湯江町、小江村 佐賀県藤津郡吉田村、能古見村、多良村 |
萱瀬村役場 | |
所在地 | 長崎県東彼杵郡萱瀬村原郷 |
座標 | 北緯32度57分09秒 東経130度00分16秒 / 北緯32.95253度 東経130.00436度座標: 北緯32度57分09秒 東経130度00分16秒 / 北緯32.95253度 東経130.00436度 |
ウィキプロジェクト |
萱瀬村(かやぜむら)は、長崎県東彼杵郡南部の内陸部にあった村。戦時中の1942年(昭和17年)、東彼杵郡南部の各町村と合併を行い市制施行、大村市となった。
現在の大村市萱瀬地区にあたる。
地理
[編集]沿革
[編集]『大村郷村記』によれば、近世初頭の萱瀬村は「皆是村」と記したとされる[1]。これは大村藩領が阿弥陀仏四十八願にならって48ヶ村に分けられ、領内検地において当村域が最後に検地されたことから、仏典の「皆是阿弥陀」にちなんで皆是村と称したと伝えられ、後に大村藩主大村純長の代に村名を「萱瀬村」に改めたとしている[1]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、東彼杵郡萱瀬村が単独村制にて発足。
- 1942年(昭和17年)2月11日 - 大村町・福重村・萱瀬村・松原村・鈴田村・三浦村が合併し市制施行。大村市が発足し、萱瀬村は自治体として消滅。
地名
[編集]郷を行政区域とする。萱瀬村は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。
- 荒瀬郷
- 黒木郷
- 田下郷
- 中岳郷
- 原郷
- 宮代郷(みやだい)
名所・旧跡
[編集]- 中岳砦跡
- 中岳原古戦場
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 42 長崎県
- 長崎県東彼杵郡教育会 編『長崎県東彼杵郡誌』長崎県東彼杵郡教育会、1917年、258-286頁 。 - Google ブックス