菟道皇女
表示
菟道皇女 | |
---|---|
続柄 | 敏達天皇皇女 |
死去 |
敏達天皇7年(578年)以降 |
父親 | 敏達天皇 |
母親 | 広姫? 推古天皇? |
菟道皇女(うじのひめみこ、生没年未詳)は、飛鳥時代の皇族。敏達天皇の皇女。伊勢斎宮。
『日本書紀』に敏達天皇7年(578年)に「菟道皇女」が伊勢神宮に任じられたが、すぐに「池辺皇子」(用明天皇か?)によって犯されたため解任されたと記されている[1]。
人物の比定
[編集]上記の事件のあった同時代に、「菟道」の名の付く皇女は2名いる。双方とも敏達天皇の皇女であり、一人は広姫の生んだ菟道磯津貝皇女(古事記では宇遲王)、もう一人は額田部皇女(後の推古天皇)の生んだ菟道貝蛸皇女(別名は菟道磯津貝皇女、古事記では貝蛸王、静貝王)である。菟道貝蛸皇女の別名として菟道磯津貝皇女が挙げられており、両者には混同があると考えられる[2]。